人吉旅行(後)(2017/07/31)
18時からは夕食を兼ねて、古希を祝う会になった。古希の祝いにプレゼントとしていただいていたシャンパンで乾杯して祝宴となった。鮎の塩焼きをはじめとして、心のこもった料理の数々で全てが美味しかった。
子どもたちからはセイコウの腕時計(お誕生日おめでとう。祝古希。これからも元気で!のメッセージ付き)と、私の今までの辿ってきた道を写真集にアレンジしたアルバムをプレゼントされた。またバースデイケーキに、7本の灯をともして祝ってくれた。
私からは下記のような「一言」を、お礼として渡した(一部を抜粋)。
古希を迎えるにあたって父親からの一言
2017年7月10日は、古希となる節目の誕生日であった。二日前の8日の土曜日に、天気がよくなった午後の時間を見計らって、正子と近くの照国神社に参拝した。受付が偶然にも、旧知(亡き義母の女学校時代の友だちの息子さん)の宮司さんで、祝詞も私たち一組だけのために境内で奏上してもらった。家内安全と秀平一家、吉岡一家の平穏無事を一生懸命に神様に祈願した。そのあと、草牟田墓地と冷水峠の納骨堂を参拝し、先祖に「感謝と報告」を行った。 振り返ってみれば、生まれてこの70年、大きな病気をすることなく、比較的平穏な幸せな人生を送れたように思う。頴娃町という片田舎に生まれて、両親の努力と運、また結婚してからは正子の内助の功もあって、ここまでよく来れたものだと思っている。仕事の上では、行く先々でいい師にも恵まれて、それなりに努力して「置かれた場所で咲きなさい」という渡辺和子さん(2.26事件で殺された渡辺教育総監の娘)の言葉をある程度は実践できたように思っている。皇居と国会の絨毯の両方を踏むことのできた人は少ない。
子どもたちもそれぞれに幸せな家庭を築いてくれて、ありがたいと思っている。親にとってはそのことが一番の願いでもある。・・・
20時過ぎに吉岡君の部屋に集まって、少しみんなで飲んだのち、それぞれの部屋に戻った。
翌日は5時半ごろから散策に出かけた。球磨川沿いの散歩コースはよく整備されており、川面を吹く抜ける風も日中とは様変わりの涼しさである。与謝野鉄幹、晶子夫妻も昭和7年に人吉を訪れたらしく、いくつもの歌碑が建っていた。
7時過ぎにバイキングも兼ねた程よい朝食が待っていた。女将の手作りのキムチも提供されていた。
10時前にチェックアウトをして、まず球磨焼酎ミュージアム「白岳伝承蔵」へ向かった。伝統を受け継いできた製法道具とともに工程や球磨焼酎の歴史・文化を紹介したり、過去から現在までCM、広告やポスターが展示されていた。道すがら「パンとお菓子の工房ナチュラル人吉店」に立ち寄って、アイスクリームなどを食べた。そのあと、人吉駅に併設された「人吉鉄道ミュージアムMOZOKA(もぞか)」に。子供たちはミニトレインにも乗ってはしゃいでいた。
12時近くになったので、駅近くの鮎道楽で昼食を食べて解散、それぞれの家路へと車を走らせた。考えてみればこのような機会があと何度経験できるかわからない。いろいろな条件がそろって初めて可能となる。できることなら年中行事にしたいが、先々のことは誰もわからない。
子どもたちからはセイコウの腕時計(お誕生日おめでとう。祝古希。これからも元気で!のメッセージ付き)と、私の今までの辿ってきた道を写真集にアレンジしたアルバムをプレゼントされた。またバースデイケーキに、7本の灯をともして祝ってくれた。
私からは下記のような「一言」を、お礼として渡した(一部を抜粋)。
古希を迎えるにあたって父親からの一言
2017年7月10日は、古希となる節目の誕生日であった。二日前の8日の土曜日に、天気がよくなった午後の時間を見計らって、正子と近くの照国神社に参拝した。受付が偶然にも、旧知(亡き義母の女学校時代の友だちの息子さん)の宮司さんで、祝詞も私たち一組だけのために境内で奏上してもらった。家内安全と秀平一家、吉岡一家の平穏無事を一生懸命に神様に祈願した。そのあと、草牟田墓地と冷水峠の納骨堂を参拝し、先祖に「感謝と報告」を行った。 振り返ってみれば、生まれてこの70年、大きな病気をすることなく、比較的平穏な幸せな人生を送れたように思う。頴娃町という片田舎に生まれて、両親の努力と運、また結婚してからは正子の内助の功もあって、ここまでよく来れたものだと思っている。仕事の上では、行く先々でいい師にも恵まれて、それなりに努力して「置かれた場所で咲きなさい」という渡辺和子さん(2.26事件で殺された渡辺教育総監の娘)の言葉をある程度は実践できたように思っている。皇居と国会の絨毯の両方を踏むことのできた人は少ない。
子どもたちもそれぞれに幸せな家庭を築いてくれて、ありがたいと思っている。親にとってはそのことが一番の願いでもある。・・・
20時過ぎに吉岡君の部屋に集まって、少しみんなで飲んだのち、それぞれの部屋に戻った。
翌日は5時半ごろから散策に出かけた。球磨川沿いの散歩コースはよく整備されており、川面を吹く抜ける風も日中とは様変わりの涼しさである。与謝野鉄幹、晶子夫妻も昭和7年に人吉を訪れたらしく、いくつもの歌碑が建っていた。
7時過ぎにバイキングも兼ねた程よい朝食が待っていた。女将の手作りのキムチも提供されていた。
10時前にチェックアウトをして、まず球磨焼酎ミュージアム「白岳伝承蔵」へ向かった。伝統を受け継いできた製法道具とともに工程や球磨焼酎の歴史・文化を紹介したり、過去から現在までCM、広告やポスターが展示されていた。道すがら「パンとお菓子の工房ナチュラル人吉店」に立ち寄って、アイスクリームなどを食べた。そのあと、人吉駅に併設された「人吉鉄道ミュージアムMOZOKA(もぞか)」に。子供たちはミニトレインにも乗ってはしゃいでいた。
12時近くになったので、駅近くの鮎道楽で昼食を食べて解散、それぞれの家路へと車を走らせた。考えてみればこのような機会があと何度経験できるかわからない。いろいろな条件がそろって初めて可能となる。できることなら年中行事にしたいが、先々のことは誰もわからない。
