人吉旅行(中)(2017/07/28)
窓の向こうには球磨川を一望できる。鮎の釣り人や白いセキレイという鳥も中州に眺めることができる。時々大きな鳥が部屋の窓際まで飛来してびっくりする。
応接台に旅館の案内が置かれているが、ここの女将さんを取り上げた記事のコピーも置かれている。もともとは韓国の生まれで、熊本大学に留学して民俗学を専攻、日本語の通訳として旅行会社に就職し、人吉旅館の3代目当主(現在の夫)に出会い、結婚と同時に来日して2000年に人吉旅館3代目女将に就任したという変わった経歴を持つ。国際化の進んだ現代では普通のことになっているが、当時のことを考えるとさまざまな困難があってのことだろう。
インタビューには次のように答えている。
旅館の女将という仕事に就き、「日本の伝統文化が色強く残る純和風旅館の伝統を守っていかねば」という強い使命感を感じました。まずは、先代が残した80年の木造建築を守ること。そして日本のしきたりや礼儀作法などを徹底して自分の体に受け継いで守っていくことに、とても喜びを感じています。
私は日本が好きだし、着物を着るのも大好きです。お客様から「着物が大変似合っているね」とか、「われわれ日本人よりよっぽど日本人らしい」と言われると、恐縮ながら大変嬉しくなります・・・。
少し部屋で休憩をとったのち、旅館から道路を挟んだ青井阿蘇神社に参拝した。球磨の民謡に「球磨で名所は青井さんの御門前は蓮池桜馬場」とあるということだが、朱に塗られた禊橋(みそぎ橋)が、白い蓮の花の咲く蓮池にアーチ形で架けられている。その橋を渡ると、目の前には茅葺きの桃山様式の壮大な楼門があらわれる。熊本地震ではこの楼門と拝殿が倒壊した映像が流されていたが、今はすっかり修復されていた。
この神社は大同元年(806)の創建と言われており、社殿は相良長毎(さがらながつね)により慶長15年から18年(1610-1613)にかけ造営されたものだという。平成20年にこの青井阿蘇神社の社殿郡5棟(本殿、廊、幣殿、拝殿、楼門)が国宝に指定された。国宝指定は九州では55年ぶり5ヶ所目で、国内で最南端の国宝建築物だという。
家内安全などを祈願した後、時間に余裕もあったので、隣の物産館で涼みがてら出かけることにした。絵葉書や漬物、お菓子などかって、14時ごろには旅館に戻った。子供たちの着くまでにはまだ時間もあったので、温泉に入った。ナトリウム炭酸水で、深い浴槽内にはベンチが置かれており腰かけてゆっくり浸ることができる。時間が早いのか、ずっと私一人で独占状態だった。
15時ごろに吉岡一家、15時30分ごろには秀平一家も到着して、家族みんなが揃ったことになる。親にとっては皆が元気で、そして孫たちの成長を見るのが最も大きな楽しみである。今までは主役は芽生ちゃんと湛梧君だったが、今回はちょうど一歳を過ぎた隼生君に代わっている。思い起こせば、昨年の今頃は九州病院に入院していたわけで、こんなに元気になれるとは、主治医の山本先生などに感謝するばかりである。まだ立って歩くことはできないが、応接台につかまって上の物を取ろうとしてバランスを崩して倒れる。挙句の果ては台の角で口の中を切ったのか血を流して泣いていたが、そのような仕草もすべてが可愛い盛りである。
応接台に旅館の案内が置かれているが、ここの女将さんを取り上げた記事のコピーも置かれている。もともとは韓国の生まれで、熊本大学に留学して民俗学を専攻、日本語の通訳として旅行会社に就職し、人吉旅館の3代目当主(現在の夫)に出会い、結婚と同時に来日して2000年に人吉旅館3代目女将に就任したという変わった経歴を持つ。国際化の進んだ現代では普通のことになっているが、当時のことを考えるとさまざまな困難があってのことだろう。
インタビューには次のように答えている。
旅館の女将という仕事に就き、「日本の伝統文化が色強く残る純和風旅館の伝統を守っていかねば」という強い使命感を感じました。まずは、先代が残した80年の木造建築を守ること。そして日本のしきたりや礼儀作法などを徹底して自分の体に受け継いで守っていくことに、とても喜びを感じています。
私は日本が好きだし、着物を着るのも大好きです。お客様から「着物が大変似合っているね」とか、「われわれ日本人よりよっぽど日本人らしい」と言われると、恐縮ながら大変嬉しくなります・・・。
少し部屋で休憩をとったのち、旅館から道路を挟んだ青井阿蘇神社に参拝した。球磨の民謡に「球磨で名所は青井さんの御門前は蓮池桜馬場」とあるということだが、朱に塗られた禊橋(みそぎ橋)が、白い蓮の花の咲く蓮池にアーチ形で架けられている。その橋を渡ると、目の前には茅葺きの桃山様式の壮大な楼門があらわれる。熊本地震ではこの楼門と拝殿が倒壊した映像が流されていたが、今はすっかり修復されていた。
この神社は大同元年(806)の創建と言われており、社殿は相良長毎(さがらながつね)により慶長15年から18年(1610-1613)にかけ造営されたものだという。平成20年にこの青井阿蘇神社の社殿郡5棟(本殿、廊、幣殿、拝殿、楼門)が国宝に指定された。国宝指定は九州では55年ぶり5ヶ所目で、国内で最南端の国宝建築物だという。
家内安全などを祈願した後、時間に余裕もあったので、隣の物産館で涼みがてら出かけることにした。絵葉書や漬物、お菓子などかって、14時ごろには旅館に戻った。子供たちの着くまでにはまだ時間もあったので、温泉に入った。ナトリウム炭酸水で、深い浴槽内にはベンチが置かれており腰かけてゆっくり浸ることができる。時間が早いのか、ずっと私一人で独占状態だった。
15時ごろに吉岡一家、15時30分ごろには秀平一家も到着して、家族みんなが揃ったことになる。親にとっては皆が元気で、そして孫たちの成長を見るのが最も大きな楽しみである。今までは主役は芽生ちゃんと湛梧君だったが、今回はちょうど一歳を過ぎた隼生君に代わっている。思い起こせば、昨年の今頃は九州病院に入院していたわけで、こんなに元気になれるとは、主治医の山本先生などに感謝するばかりである。まだ立って歩くことはできないが、応接台につかまって上の物を取ろうとしてバランスを崩して倒れる。挙句の果ては台の角で口の中を切ったのか血を流して泣いていたが、そのような仕草もすべてが可愛い盛りである。
