Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

夏の難病対策委員会(後)(2017/07/26) 

会議は17時半頃には終わったので、赤坂駅から有楽町駅まで千代田線で引き返して、そこから歩いて「輝咲」に向かった。予定の開始時間の18時前だったので、私が一番乗りとなったが、18時30分ごろまでに予定されていた薄さん、福寿司ご夫妻(大澤さん)、岡本さん、穴見ご夫妻、貴志ご夫妻、山田さん(福寿司ファミリーの山田義雄弁護士の長男)の10名が集まった。今回も私の出張に合わせて集まってくれたのである。
 この夜も貴志さんが写真係(お世話係)で、スナップ写真、集合写真を何枚も撮ってくれていた。そして写真を整理して、いつもアルバムに仕立て上げて一人一人に配ってくれる。私の本棚には、そのような福寿司でのイベントのアルバムが何冊も並んでいる。
私が福寿司とのご縁ができたのは、2000年頃、筋ジス研究班の河原先生に紹介されたことに始まる。場所が浅草雷門の近くで、銀座線の終着駅に近くアクセスも良く、寿司の握りの味も申し分なく、おまけに安いときている。東京で寿司を思い切り食べて、飲んで、5千円を超えることはほとんどなかったように記憶している。また寡黙で、腕のいいいかにも職人さんという感じの大澤さんと、お客さんの切り盛りをてきぱきとされていた奥さんとの何とも言えない絶妙なコンビが、店内に笑顔の絶えない温もりのある雰囲気を醸し出していた。いい店というものは、いいお客さんとの共同作業で成り立っているのだと、寿司をつまみながら思ったものである。
福寿司とのご縁がなければ、私の東京出張も味気ないものになっていたのではないだろうか。大澤さんは現在78歳(早稲田実業で王選手の一年先輩)だということだったが、今も見るからにお元気である。難病対策委員会で隣の席だった五十嵐先生(成育医療センター理事長)も福寿司によく来られていた常連のお一人だったが、この日も「ご主人によろしくとお伝えください」と伝言された。
この夜、初対面の山田さんも参加されたので、お一人お一人の簡単な自己紹介を聞きながら、実な多様な縁で結ばれているものだとつくづく思うことだった。山田さんは山田弁護士のご子息だという27歳のイケメンの青年弁護士で、小さいころに父親に連れられて福寿司で寿司を御馳走になったことがあるということだった。親子2代の福寿司繋がりである。
2時間ほどそれぞれに楽しい懇談のひとときとなり、20時過ぎにお開きとなった。私は貴志さんから、「あいうえ築地の河岸ことば」(福地享子著)と冥界珍国語辞典(Team Nanba文庫)の二冊を頂いた。福地さんは私の高校の同級生であるが、この本も洒脱な文章で一気に読んでしまった。築地という一般人には縁の薄い世界での人間模様を、楽しくあたたかく描いている。