石弘光さんの「がん」との向き合い方(中)(2017/07/13)
ところが、指摘されていた嚢胞が短期間に急速にがん化したようだ。大きさはすでに膵臓を突き破って外側にまで拡大していた。さらに驚いたことに、陽電子放射断層撮影装置(PET)の結果、リンパ節と肺に遠隔転移していることが分かった。最悪の「ステージ4b」だった。膵臓がんといっても早期発見に努力してきたから「見つかっても、ごく初期で治療も簡単だろう」と考えていた。それだけに「青天のへきれき」と言わざるを得なかった。
一般的に膵臓がんは発見が容易でないとされる。しかし私の場合、きわめて明確な形で膵臓がんと診断された。これだけ注意深くがんの発生を慎重にチェックしていたのに、発見された段階で末期がんとは何とも皮肉な話であった。
家内と2人でどうも納得がいかないので「このまま放置すると、一体どうなるのですか」と医師に尋ねたところ、「2、3カ月もすると、がんが悪さをしますよ」との返事であった。
②「末期がんを受け入れたわけ」では、心の動揺は何らなかった。家内も全く動揺はなく、平静に医師の説明を聞いていた。
私たちは「人間は生まれたからには、いつか死ぬのだ」といつも話し合っており、死はそれほどタブー視すべきものではなかったからだろう。私の世代になると同級生たちは4分の一ほどは逝っており、自分も後何年生きられるか、余命がちらつく年頃だった。最後まで活動でき、頭脳が明晰のまま、がんで死を迎えるのも悪くない選択肢だと私どもは考えている。 人生の終盤を迎え、「公私にわたり、やるべきことをやった」という満足感があることも大きい。親としての責任は一応果たしたというべきだろう。人生には何れ終わりが来るものだ。
私の医学部の同級生は約100人が卒業したが、約四分の1が亡くなっている。石先生とは10年近く若いので、いかに早死にしているかがよくわかる。
③「抗がん剤治療の試練」では、私の病名はステージ4bの膵臓がんでリンパ節や肺に遠隔転移があり、手術も放射線療法もできない。残された選択肢は化学療法としての抗がん剤投与しかなく私も納得の治療方針であった。
そして抗がん剤の投与を受け副作用に悩まされる。苦しみの先に、希望が見えてきた。CTで検査したところ、がん本体が6割ほど縮小し、腫瘍マーカーも急減し正常域内になっていた。劇的な効果だった。その後、山あり谷ありであるが、発病後一年近くになるが副作用に悩みつつも、がんの動きをある程度うまくコントロールしているようだ。
抗がん剤治療に立ち向かうためには、体力、気力が絶えず充実していなければならない。
幸いなことに、私はこれらの必要条件をすべてクリアしてきた。しかしいずれ薬剤耐性のために効かなくなってくるようだ。「その時は、その時考えればいい」と割り切っている。苦しい治療を受けながら残された人生を充実させ、いかにその幕引きができるか、いつも私の脳裏から離れない問題である。
④「医療体制は崩壊しないか」も項では、さきほど紹介した「中央公論」3月号での国立がんセンター名誉総長の垣添忠生先生と高齢者のがんについて対談を話題に取り上げている。
一般的に膵臓がんは発見が容易でないとされる。しかし私の場合、きわめて明確な形で膵臓がんと診断された。これだけ注意深くがんの発生を慎重にチェックしていたのに、発見された段階で末期がんとは何とも皮肉な話であった。
家内と2人でどうも納得がいかないので「このまま放置すると、一体どうなるのですか」と医師に尋ねたところ、「2、3カ月もすると、がんが悪さをしますよ」との返事であった。
②「末期がんを受け入れたわけ」では、心の動揺は何らなかった。家内も全く動揺はなく、平静に医師の説明を聞いていた。
私たちは「人間は生まれたからには、いつか死ぬのだ」といつも話し合っており、死はそれほどタブー視すべきものではなかったからだろう。私の世代になると同級生たちは4分の一ほどは逝っており、自分も後何年生きられるか、余命がちらつく年頃だった。最後まで活動でき、頭脳が明晰のまま、がんで死を迎えるのも悪くない選択肢だと私どもは考えている。 人生の終盤を迎え、「公私にわたり、やるべきことをやった」という満足感があることも大きい。親としての責任は一応果たしたというべきだろう。人生には何れ終わりが来るものだ。
私の医学部の同級生は約100人が卒業したが、約四分の1が亡くなっている。石先生とは10年近く若いので、いかに早死にしているかがよくわかる。
③「抗がん剤治療の試練」では、私の病名はステージ4bの膵臓がんでリンパ節や肺に遠隔転移があり、手術も放射線療法もできない。残された選択肢は化学療法としての抗がん剤投与しかなく私も納得の治療方針であった。
そして抗がん剤の投与を受け副作用に悩まされる。苦しみの先に、希望が見えてきた。CTで検査したところ、がん本体が6割ほど縮小し、腫瘍マーカーも急減し正常域内になっていた。劇的な効果だった。その後、山あり谷ありであるが、発病後一年近くになるが副作用に悩みつつも、がんの動きをある程度うまくコントロールしているようだ。
抗がん剤治療に立ち向かうためには、体力、気力が絶えず充実していなければならない。
幸いなことに、私はこれらの必要条件をすべてクリアしてきた。しかしいずれ薬剤耐性のために効かなくなってくるようだ。「その時は、その時考えればいい」と割り切っている。苦しい治療を受けながら残された人生を充実させ、いかにその幕引きができるか、いつも私の脳裏から離れない問題である。
④「医療体制は崩壊しないか」も項では、さきほど紹介した「中央公論」3月号での国立がんセンター名誉総長の垣添忠生先生と高齢者のがんについて対談を話題に取り上げている。
