石弘光さんの「がん」との向き合い方(前)(2017/07/12)
統計的には、日本人の二人に一人ががんになる時代である。早期発見で何事もなく日常生活に戻れる運のいい人もおれば、そうでない人もいる。自分がそのような状況になった時、どのような心構えでおられるだろうか。石先生のように「達観」できるだろうか。
この「達観」という言葉で思い出すのは、先日の「吉野幼稚園」の項で紹介した川涯利雄先生が日高君の歌集「花のちから」に寄せた一文である。
彼は謙虚な人です。出会う人々に感謝し、献身的な看護師さんの仕事に感激し、その美しい生き方に恋(彼の恋は生命への賛美そのものです)をし、花を愛し、風を愛し、気温の移り変わりに、循環する宇宙の真理を感受します。筋ジストロフィーという過酷な運命にさえ感謝し、遠からず来るに決まっている死さえ受け入れてしずかな心で日々を過ごしています。みごとな「達観」です。
筋ジスの患者さんの中には、日高君と同様に、死を「達観」して迎えられる人が多かったように思う。先日亡くなった「みゆき」もそうだったし、敏秀もそうだった。彼らは幼少時から病気と共存した生活を否応なしに送ってきたために、少しずつ受容できていったのではないかと考えるのだが・・・
平成18年に口腔がんで亡くなった私の義父も、実に見事な「死に方」だった。循環器の医師であったが、がんと診断されたその日に写真館で遺影を撮り、亡くなる前の2年間ほど、手術や放射線治療など厳しい治療と粛々と向き合い、この間、一度も不安感などは口にしたことはなかった。最期は点滴も拒否して、従容と浄土へと旅立った。熱心な浄土真宗の宗徒でもあった。
さて中央公論の対談、石弘光(一橋大学名誉教授)×垣添忠生(国立がんセンター名誉総長)は、「医療費が膨張する今、高齢者のがん治療を考えた。末期膵臓がんでも私は負けない!」という表題だったが、本音で語り合っていて面白かった。 政府税制調査会長として活躍した財政学の大家である石氏(七十九歳)が昨年六月、末期の膵臓がんと診断され、闘病を続けている。「これほど元気で前向きな末期膵臓がん患者を見たことがない」と驚くのは、国立がんセンター名誉総長の垣添忠生氏(七十五歳)だ。今後急増する「高齢者のがん」について、二人は語り合っている。
また日経新聞の医療・健康欄の「向き合う」という4回の連載(5月から6月)で、石先生が膵臓がんと診断されて以降の経過と心の動きや受容、医療体制にまで言及されている(石先生の書かれた文をそのまま抜粋して、皆さんにも紹介したい)。
まず①「膵臓がん 青天のへきれき」の項では、私の人生の最後のドラマは昨年6月、膵臓(すいぞう)にあった球状の組織、嚢(のう)胞が突然がん化したと告げられたことから始まった、で始まる。
この嚢胞は5年前から存在は分かっており、膵嚢胞(膵管内乳頭粘液性腫瘍=IPMN)と言われるものだった。大きさは1.5センチメートルほどで、通常7~8割は良性で問題がないらしい。それでも「がん化の恐れもある」ということで、磁気共鳴画像装置(MRI)で年に1回検査していた。毎年変化はなく、「何ともない」と言われてきた。
ちなみに当院のPET健診などでは、嚢胞の大きさが1センチでも、この分野の専門家である新原先生に紹介して定期的に経過を見守ってもらっている。その結果、石先生のようにがん化した初期例が手術により完治していく例も増えているようである。
この「達観」という言葉で思い出すのは、先日の「吉野幼稚園」の項で紹介した川涯利雄先生が日高君の歌集「花のちから」に寄せた一文である。
彼は謙虚な人です。出会う人々に感謝し、献身的な看護師さんの仕事に感激し、その美しい生き方に恋(彼の恋は生命への賛美そのものです)をし、花を愛し、風を愛し、気温の移り変わりに、循環する宇宙の真理を感受します。筋ジストロフィーという過酷な運命にさえ感謝し、遠からず来るに決まっている死さえ受け入れてしずかな心で日々を過ごしています。みごとな「達観」です。
筋ジスの患者さんの中には、日高君と同様に、死を「達観」して迎えられる人が多かったように思う。先日亡くなった「みゆき」もそうだったし、敏秀もそうだった。彼らは幼少時から病気と共存した生活を否応なしに送ってきたために、少しずつ受容できていったのではないかと考えるのだが・・・
平成18年に口腔がんで亡くなった私の義父も、実に見事な「死に方」だった。循環器の医師であったが、がんと診断されたその日に写真館で遺影を撮り、亡くなる前の2年間ほど、手術や放射線治療など厳しい治療と粛々と向き合い、この間、一度も不安感などは口にしたことはなかった。最期は点滴も拒否して、従容と浄土へと旅立った。熱心な浄土真宗の宗徒でもあった。
さて中央公論の対談、石弘光(一橋大学名誉教授)×垣添忠生(国立がんセンター名誉総長)は、「医療費が膨張する今、高齢者のがん治療を考えた。末期膵臓がんでも私は負けない!」という表題だったが、本音で語り合っていて面白かった。 政府税制調査会長として活躍した財政学の大家である石氏(七十九歳)が昨年六月、末期の膵臓がんと診断され、闘病を続けている。「これほど元気で前向きな末期膵臓がん患者を見たことがない」と驚くのは、国立がんセンター名誉総長の垣添忠生氏(七十五歳)だ。今後急増する「高齢者のがん」について、二人は語り合っている。
また日経新聞の医療・健康欄の「向き合う」という4回の連載(5月から6月)で、石先生が膵臓がんと診断されて以降の経過と心の動きや受容、医療体制にまで言及されている(石先生の書かれた文をそのまま抜粋して、皆さんにも紹介したい)。
まず①「膵臓がん 青天のへきれき」の項では、私の人生の最後のドラマは昨年6月、膵臓(すいぞう)にあった球状の組織、嚢(のう)胞が突然がん化したと告げられたことから始まった、で始まる。
この嚢胞は5年前から存在は分かっており、膵嚢胞(膵管内乳頭粘液性腫瘍=IPMN)と言われるものだった。大きさは1.5センチメートルほどで、通常7~8割は良性で問題がないらしい。それでも「がん化の恐れもある」ということで、磁気共鳴画像装置(MRI)で年に1回検査していた。毎年変化はなく、「何ともない」と言われてきた。
ちなみに当院のPET健診などでは、嚢胞の大きさが1センチでも、この分野の専門家である新原先生に紹介して定期的に経過を見守ってもらっている。その結果、石先生のようにがん化した初期例が手術により完治していく例も増えているようである。
