Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

古希を迎えて(2017/07/10) 

遂に7月10日がやってきた。語呂合わせで納豆のこの日は、私にとっては古希となる節目の誕生日である。二日前の8日の土曜日には、天気がよくなった午後の時間を見計らって、家内と照国神社に参拝した。受付が偶然にも、旧知(義母の女学校時代の友だちの息子)の宮司さんで、祝詞も私たち一組だけのために境内で奏上してくださった。
さて6月下旬には白石さん(南九州病院で一緒に働いていた看護師で、病院を辞めた後、パーキンソン病の義母の介護を長期にわたりされていた。また文芸同人誌「あかね」の同人)からは次のような葉書を頂いた。
先生お元気ですか。人生相談(南日本新聞のすいもあまいも)はいつも楽しみにしています。今度の回答も自虐的な一言にクスッとなりました。先生、来月10日にはいよいよ70の大台を迎えられますね。4年前、皆で貴院に伺った時に、ざこちゃんの指導でふたでプリンを食べたことを思い出します。今回はこの葉書で、Happy Birthday!!
・・・パーキンソン病交流会でパーキンソン病川柳、優秀賞を頂きました。
オンオフを 上手に使おう 日は長い
さすがに元看護師、なかなか味わい深い川柳である。
さて古希は、唐の詩人杜甫の詩・曲江(きょっこう)に由来するという。「酒債は尋常行く処に有り 人生七十 古来稀なり」(酒代のつけは私が普通行く所には、どこにでもある。(しかし)七十年生きる人は古くから稀である)。
杜甫の詩にもあるように、当時、古希はまれなものとされていたが、長寿社会の現在では単なる通過点に過ぎない。とはいえ、男性の場合、健康寿命は71歳、平均寿命は80歳だと考えると、残された人生はもう少ししか残っていないということになる。ところが周りを見回しても元気な高齢者が多く(75歳以上でも要介護認定を受けている人は23%に過ぎない)、健康寿命の平均が71歳というのはどうも腑に落ちなかった。
そこでよく調べてみると、この健康寿命という考え方は、国民生活基礎調査において、「あなたは現在、健康上の問題で日常生活に何か影響がありますか。」「あなたの現在の健康状態はいかがですか。」という質問に「日常生活に制限のない期間の平均」「自分が健康であると自覚している期間の平均」を算出し、年代別人口や生存率などを加味して導いた数値であるそうである。要介護認定という全国共通の客観的な基準ではなく、アンケートに回答した人たちの主観に基づく数値なのである。
そうはいっても、やはり70歳ともなると、引き算の考え方になり、「あと何年か」とつい考えてしまう。誕生祝のカードにも「先生はいつまでお仕事なさるのでしょうか」という文面も見られる。兼好法師は徒然草(155)の中で、「死期はついでを待たず。死は、前よりしも来たらず、かねて後ろに迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来たる。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し」と書かれている。別に騒がなくても自然に「死は後より迫れり」なのである。
振り返ってみれば生まれてこの70年、大きな病気をすることなく、比較的平穏な人生を歩めたように思う。行く先々でいい師にも恵まれて、それなりに努力して「置かれた場所で咲きなさい」という渡辺和子さんの言葉を、ある程度は実践できたように思っている。これも一緒に働いてくれた多くの方々のご協力のお蔭だと感謝している。でも先々のことは誰にもわからない。残された人生を、できることなら人のため、世のために働きたいのだが、さまざまな周りの条件(健康など)が許してくれるだろうか。