聖マリア学園吉野幼稚園「父の日お祝い会」での講演(5)(2017/07/07)
今日、私が参考にした「父性の復権」の著者の林道義さんは次のようにまとめています。「父の役割は家族を統合し、理念を掲げ、文化を伝え、社会のルールを教えることにある。この役割が失われると子供は判断の基準、行動の原理を身につける機会を逸してしまう。いじめや不登校が起こり、利己的な人間、無気力な人間が増えるのもこの延長線上にある。独善的な権威を持って君臨する家父長ではなく、健全な権威を備えた父が必要だ」
よく考えてみれば、私たちは子育てについてはきちんと学んだ記憶がありません。昔は大家族であったので爺ちゃんは婆ちゃんはその役割をしてくれたり、また地域の中にも年長の人が後輩を教えるような組織がありました。ところが現在は、一人一人が試行錯誤しながらの子育てということになっています。
また最近は優しい父親、友達みたいな父親が善しとされ、親子の「対話」が求められています。林さんの言い分は、そもそも父親と子供の間は平等ではないのだから、対話などというものは存在しない。父親はアクが強く、子供に理解できようが構うことなく、理念を、ポリシーを、メッセージを、礼儀を教える存在であるべきだと考えています。
子供との間には適度な距離が必要で、いつも親密な間柄は母親の、母性の役割だと論じています。小さいころから規則やけじめ、礼儀を教えることが大切です。他人に迷惑がかからなければ何をしてもいいというのでは動物と同じです。子供は低学年では元気であればいいということで、きちんとしたしつけを教えないと、高学年になった時に教室が荒れるもとになると分析しています。そして林さんは人間として大切な品位、美しさ、気品、ふさわしいという観念、抽象的な徳への関心も、子供の時代から必要なのだと説いておられます。
一時間ほどの講話だったが、私語をする人も眠る人もおらず、熱心に耳を傾けてくれたように思う。会場が狭く、同じ目線で話ができたので話しやすかった。当初はどうなることやらと心配していたが、川涯先生からも「いいお話でした」とリップサービスを頂いてほっとした。
先日、病院での朝の健診で45歳の男性から、「先日幼稚園で、先生の講話を聴かせてもらいました。一番前で聴いていました。3人子どもがいますので、先生の話を役立てたいと思います。妻は子どもにやさしすぎるので、これからは自分が躾け役をかって出ようと考えています」という言葉を頂いた。どうにか責任の一端は果たせたように思うが、このような類の講演は、できたら遠慮したいと思うことである。
よく考えてみれば、私たちは子育てについてはきちんと学んだ記憶がありません。昔は大家族であったので爺ちゃんは婆ちゃんはその役割をしてくれたり、また地域の中にも年長の人が後輩を教えるような組織がありました。ところが現在は、一人一人が試行錯誤しながらの子育てということになっています。
また最近は優しい父親、友達みたいな父親が善しとされ、親子の「対話」が求められています。林さんの言い分は、そもそも父親と子供の間は平等ではないのだから、対話などというものは存在しない。父親はアクが強く、子供に理解できようが構うことなく、理念を、ポリシーを、メッセージを、礼儀を教える存在であるべきだと考えています。
子供との間には適度な距離が必要で、いつも親密な間柄は母親の、母性の役割だと論じています。小さいころから規則やけじめ、礼儀を教えることが大切です。他人に迷惑がかからなければ何をしてもいいというのでは動物と同じです。子供は低学年では元気であればいいということで、きちんとしたしつけを教えないと、高学年になった時に教室が荒れるもとになると分析しています。そして林さんは人間として大切な品位、美しさ、気品、ふさわしいという観念、抽象的な徳への関心も、子供の時代から必要なのだと説いておられます。
一時間ほどの講話だったが、私語をする人も眠る人もおらず、熱心に耳を傾けてくれたように思う。会場が狭く、同じ目線で話ができたので話しやすかった。当初はどうなることやらと心配していたが、川涯先生からも「いいお話でした」とリップサービスを頂いてほっとした。
先日、病院での朝の健診で45歳の男性から、「先日幼稚園で、先生の講話を聴かせてもらいました。一番前で聴いていました。3人子どもがいますので、先生の話を役立てたいと思います。妻は子どもにやさしすぎるので、これからは自分が躾け役をかって出ようと考えています」という言葉を頂いた。どうにか責任の一端は果たせたように思うが、このような類の講演は、できたら遠慮したいと思うことである。
