みゆきを偲ぶ会(2017/08/18)
今年の4月26日、浄土へと旅だった美由紀(脊髄性進行性筋萎縮症)を「しのぶ会」が4日の午後、サンロイヤルホテルで開催された。月日の経つのは実に早いもので、亡くなってからもう3ヶ月が経ったことになる。
この朝、病院での業務を済ませたのち、12時前にホテルへと向かった。ホテル一階の大広間の会場には祭壇が設けられ、花に囲まれた真ん中に、にこやかに微笑んだ美由紀の遺影が飾られている。いい笑顔である。一人ひとりから献花が行われ、開催の時間まで思い思いの語らいの場となった。私のテーブルは川涯先生ご夫妻や南九州病院の筋ジス病棟で一緒に働いたことのある今村さん(臨床心理士)である。今村さんは美由紀の生まれ故郷の内之浦で執り行われた葬儀の模様を話してくれたが、それは私の知らないリーダーとしての美由紀のすごさを知ることにもつながった。葬儀に参加していた若者たち(事業所で働いていた介護担当者)が棺にすがりながら号泣していたという。
偲ぶ会の冒頭で、この「偲ぶ会」をするに至った経緯をNPO法人自立生活センター「てくてく」の副代表で美由紀の妹の美智恵が話されていたが、全国の同じNPO法人の仲間からの強い要望があったということである。自立生活センターとは「どんなに重度な障害を持っていても地域で自立した生活を送りたい。そんな障害者を応援する組織」で、この偲ぶ会にも全国から50人近くの仲間(全体の参加者は120人ほどだったという)が、車いすなどで駆けつけていた。
会はまず、「てくてく」の副代表で、美由紀の妹の美智恵が姉についても率直な感想と、この「しのぶ会」が開催されるに至った経緯について話された。その後、岩崎さん(筋ジス病棟時代からの仲間で、ともに活動してきた)がパワーポイントを使いながら、「History」というタイトルで、南九州病院に入院して、自立を目指して退院して、ブドウの木薬局の運営、「てくてく」や「ブドウの木」介護派遣サービス事業所の活動など、細やかにまた共感を込めて話された。私も懐かしく思い出されることだった。
その後、自立生活センター下関の代表の河本満幸さんの音頭で「献杯」がなされたのち、様々な形でつながりの深かった人たちの思い出が語られた。
沖縄の自立生活センターいるかの長位鈴子さん(美由紀が鹿児島で自立生活センターを立ち上げるきっかけにもなったという)、川涯先生(養護学校の先生をされていた時に、Viewの会を組織され、自立への端緒を開いてくれた)、ひろし君(筋ジス病棟の仲間で、現在自身も退院して自律している)、そして私も思い出を少し話させてもらった。
偲ぶ会はまだ続いていたが、私は病院の業務もあったので、中座させてもらった。おそらく「てくてく」の職員などで企画した手作りの「偲ぶ会」だったかと思うが、美由紀を偲ぶいい集いとなっていた。
この朝、病院での業務を済ませたのち、12時前にホテルへと向かった。ホテル一階の大広間の会場には祭壇が設けられ、花に囲まれた真ん中に、にこやかに微笑んだ美由紀の遺影が飾られている。いい笑顔である。一人ひとりから献花が行われ、開催の時間まで思い思いの語らいの場となった。私のテーブルは川涯先生ご夫妻や南九州病院の筋ジス病棟で一緒に働いたことのある今村さん(臨床心理士)である。今村さんは美由紀の生まれ故郷の内之浦で執り行われた葬儀の模様を話してくれたが、それは私の知らないリーダーとしての美由紀のすごさを知ることにもつながった。葬儀に参加していた若者たち(事業所で働いていた介護担当者)が棺にすがりながら号泣していたという。
偲ぶ会の冒頭で、この「偲ぶ会」をするに至った経緯をNPO法人自立生活センター「てくてく」の副代表で美由紀の妹の美智恵が話されていたが、全国の同じNPO法人の仲間からの強い要望があったということである。自立生活センターとは「どんなに重度な障害を持っていても地域で自立した生活を送りたい。そんな障害者を応援する組織」で、この偲ぶ会にも全国から50人近くの仲間(全体の参加者は120人ほどだったという)が、車いすなどで駆けつけていた。
会はまず、「てくてく」の副代表で、美由紀の妹の美智恵が姉についても率直な感想と、この「しのぶ会」が開催されるに至った経緯について話された。その後、岩崎さん(筋ジス病棟時代からの仲間で、ともに活動してきた)がパワーポイントを使いながら、「History」というタイトルで、南九州病院に入院して、自立を目指して退院して、ブドウの木薬局の運営、「てくてく」や「ブドウの木」介護派遣サービス事業所の活動など、細やかにまた共感を込めて話された。私も懐かしく思い出されることだった。
その後、自立生活センター下関の代表の河本満幸さんの音頭で「献杯」がなされたのち、様々な形でつながりの深かった人たちの思い出が語られた。
沖縄の自立生活センターいるかの長位鈴子さん(美由紀が鹿児島で自立生活センターを立ち上げるきっかけにもなったという)、川涯先生(養護学校の先生をされていた時に、Viewの会を組織され、自立への端緒を開いてくれた)、ひろし君(筋ジス病棟の仲間で、現在自身も退院して自律している)、そして私も思い出を少し話させてもらった。
偲ぶ会はまだ続いていたが、私は病院の業務もあったので、中座させてもらった。おそらく「てくてく」の職員などで企画した手作りの「偲ぶ会」だったかと思うが、美由紀を偲ぶいい集いとなっていた。
