迷走台風に翻弄された3日間(4)(2017/08/14)
また文庫本「夜バナ」の出版(2013年07月)時に私は「二枚目の青年も、今や中年の域にさしかかりつつある。寡作も結構だが、食うためには意に沿わない依頼原稿も書かなければならないと思うけど余計なおせっかいかもしれない。困窮をモノともせず、ただ自分の好きなことに立ち向かうことも人生かもしれない」と書いている。
渡辺さんは「無人駅」を上梓して以降、再び7年も「大作」は刊行していない。もちろん遊んでいるわけではなくて、「いつも葛藤のただ中」にあるのだと推察する。仄聞するとある出版社からある本を出版予定であるという。9割方は完成しているらしいのだが、いつものこだわりで最後の一割がしっくりいかないようである。私は「全てに満足できるものはない。『てげてげ』でもいいから、踏ん切りを着けて「えいやー」と脱稿してしまわないと次に進めないではないか」と、この日も私の経験も話した。もちろん私の書いているものとは比較できるようなものではないのだが、「先生は毎朝、あれだけの分量を書かれるとはすごいことですよ。そして一つ一つがきちんとした作品に仕上がっている」と、思いがけない評価をプロの作家から頂いて「叱る」剣先も鈍ってしまう。
今回の作品は障害に関する人と人との関係性をテーマにしていると聞いており、なおさら早く「読みたい」のである。「早く出して貰わないと、もう私には時間がないのだから」とあの手この手で促すことだった。
16時前に輝咲を打ち上げにして、みんなで歩いて銀座にある監査法人双研社(貴志さんの所属事務所)に押しかけた。談話室を占拠して、冷蔵庫から勝手にビールなど取り出して楽しく飲んで談笑することだった。どこまでも優しい貴志さんの「思いやり」精神である。また貴志さんからは3冊の本(新宿ピットインの50年、幸せな人は「お金」と「働く」を知っている、持続可能な資本主義)も頂いた。
その後、私は山手線で目黒まで行って、駅前の「すき家」で牛どんを夕食にして、ホテルに帰った。
7日は東京も少し空模様が怪しくなり、蒸し暑い。便の変更をしなければ一便で帰れたのだが、後の祭りである。朝はぽっかり時間が空いたので、世田谷のIさん宅を訪問してみようかなと思いついた。Iさんは8年ほど前に、私の書いたパーキンソン病の本を読んで、わざわざ東京から南九州病院まで診察に来られた方である。当時、国立病院機構本部が目黒区東ヶ丘にあり、世田谷も近かったので時々訪問していた。2011年3月11日の大震災の時には、奥さんの運転で雅叙園に向かうときに、車の中であの地震に遭遇した。そのような縁もあって、時々連絡を取り合ってきている。
渋谷からタクシーでご自宅を訪問すると、「先生、わかりますか。わかったら手を挙げてください」というと、車いすの肘から少し手を挙げてくれた。いつもこれが最後のひとときかも知れないと思いながら、奥さんの必死の介護で豊かな療養生活が送られている。
東京発15時15分発(20分ほど遅延)に搭乗して、17時20分ごろに鹿児島空港に着くことができた。「やれやれ」である。
渡辺さんは「無人駅」を上梓して以降、再び7年も「大作」は刊行していない。もちろん遊んでいるわけではなくて、「いつも葛藤のただ中」にあるのだと推察する。仄聞するとある出版社からある本を出版予定であるという。9割方は完成しているらしいのだが、いつものこだわりで最後の一割がしっくりいかないようである。私は「全てに満足できるものはない。『てげてげ』でもいいから、踏ん切りを着けて「えいやー」と脱稿してしまわないと次に進めないではないか」と、この日も私の経験も話した。もちろん私の書いているものとは比較できるようなものではないのだが、「先生は毎朝、あれだけの分量を書かれるとはすごいことですよ。そして一つ一つがきちんとした作品に仕上がっている」と、思いがけない評価をプロの作家から頂いて「叱る」剣先も鈍ってしまう。
今回の作品は障害に関する人と人との関係性をテーマにしていると聞いており、なおさら早く「読みたい」のである。「早く出して貰わないと、もう私には時間がないのだから」とあの手この手で促すことだった。
16時前に輝咲を打ち上げにして、みんなで歩いて銀座にある監査法人双研社(貴志さんの所属事務所)に押しかけた。談話室を占拠して、冷蔵庫から勝手にビールなど取り出して楽しく飲んで談笑することだった。どこまでも優しい貴志さんの「思いやり」精神である。また貴志さんからは3冊の本(新宿ピットインの50年、幸せな人は「お金」と「働く」を知っている、持続可能な資本主義)も頂いた。
その後、私は山手線で目黒まで行って、駅前の「すき家」で牛どんを夕食にして、ホテルに帰った。
7日は東京も少し空模様が怪しくなり、蒸し暑い。便の変更をしなければ一便で帰れたのだが、後の祭りである。朝はぽっかり時間が空いたので、世田谷のIさん宅を訪問してみようかなと思いついた。Iさんは8年ほど前に、私の書いたパーキンソン病の本を読んで、わざわざ東京から南九州病院まで診察に来られた方である。当時、国立病院機構本部が目黒区東ヶ丘にあり、世田谷も近かったので時々訪問していた。2011年3月11日の大震災の時には、奥さんの運転で雅叙園に向かうときに、車の中であの地震に遭遇した。そのような縁もあって、時々連絡を取り合ってきている。
渋谷からタクシーでご自宅を訪問すると、「先生、わかりますか。わかったら手を挙げてください」というと、車いすの肘から少し手を挙げてくれた。いつもこれが最後のひとときかも知れないと思いながら、奥さんの必死の介護で豊かな療養生活が送られている。
東京発15時15分発(20分ほど遅延)に搭乗して、17時20分ごろに鹿児島空港に着くことができた。「やれやれ」である。
