迷走台風に翻弄された3日間(3)(2017/08/10)
11時過ぎにホテルを出て、目黒経由で有楽町に。下着を用意してこなかったので目黒駅のユニクロで調達する。
12時前に輝咲に着いたら、河原先生が今日配る資料(育療)の準備をしていた。今昼の会合のメインの目的は「渡辺を叱る会」(やさしい貴志さんは「励ます会」でいいんじゃないですかと言われていたが)が、もう一つが「医療と福祉を語る会」になっていた。出席者は私と河原先生、渡辺一史さん、鈴木希望さん、中山優季さん、中島隆信教授、青木さん(医学書院)、佐々木さん(厚労省)、貴志さんの9人である。
ところで渡辺さんの略歴をウキペディアで調べると、下記のようで、我々ごときがおいそれと「叱れるような」人ではない。
渡辺一史(わたなべ かずふみ、1968年2月26日 )は、日本のフリーライター、ノンフィクション作家。北海道札幌市在住。愛知県名古屋市生まれ、大阪府豊中市育ち。大阪府立北野高等学校を経て、1987年北海道大学理Ⅱ系入学。在学中、自ら創刊したキャンパス雑誌の編集にのめり込み、1991年9月北海道大学文学部行動科学科中退。その後北海道を拠点にフリーライターとして活動する。多数の道内市町村・郷土関係の出版物に共同執筆として参加している。
2003年、札幌で自立生活を送る重度身体障害者とボランティアを描いた『こんな夜更けにバナナかよ』で第25回講談社ノンフィクション賞、第35回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。2012年、取材・執筆に8年を要した二冊目の著書『北の無人駅から』で第16回林白言文学賞、第12回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、第34回サントリー学芸賞、第26回地方出版文化功労賞受賞。読売新聞読書委員。
ところで私と渡辺さんとの付き合いは、先ほどの「夜バナ」の中に拙著「難病と生きる(1999年)」を紹介し、引用してもらったことに始まる。また当時私は厚労省の筋ジス研究班の班長をしていたが、その研究班幹事に渡辺さんと交遊のあった河原先生(当時松江病院)や石川先生(八雲病院)がおられたということも伏線になっている。
また2003年には、私が「Japan Clipping Today」という研修医向けの月刊誌に「夜バナ」の書評を書き、一方2004年には私の著書の「病む人に学ぶ」(日総研出版)の出版の際に、渡辺さんに推薦文を書いてもらったこともあった。また10年ほど前には学会時に薄野で飲んだり、渡辺さんも鹿児島に2度ほど遊びに来られたこともあった。
一般的に新人作家が何がしかの賞を授与すると、出版社の意向もあって、次々に新作を世に問うのがこの業界の習わしだと聞いたことがある。ところが渡辺さんはこの通例に反し、「夜バナ」の出版以降、「無人駅の取材を続けている」という話は聞こえてくるものの、なかなか新作を眼にすることはなかった。単なる怠惰のためとも思えたが、実は「納得のいく作品でなければ出したくない」という生真面目な信念に基づいていたのである。
「無人駅」の仲で、「ローカルでありながらも、同時に広い世界とのつながりを意識し続けること、そしてマイナーなテーマの中に、いかに普遍的なテーマを見出していくかが重要である」と書いている。これも医学の世界でも全く同じことが言えるようで、私の恩師の井形先生のテーマも「限りなくローカルな問題を限りなくインターナショナルな舞台へ」だった。まさに「地方からの発信」の時代であった。「書きながら、考え、悩み続けていたことがもう一つあった」というくだりも、私も同じ感覚を持っている。すなわち個人情報に関することで、「書いていいことと、書いてはならないことを厳しく見定める眼が必要である。こんなことを書いたら、書かれた方はたまったものではないだろう、との危惧があらゆる場面で存在するからだ」ということである。私も患者さんの物語を書くときに、いつも気になる部分である。渡辺さんは「時間をかけて取材対象者とつきあっていくということでしかなかった」と書いているが、このスタンスも私と同じ手法であり、「『まったくしょうがないやつだ』と苦笑いしながらも、受け入れてくれないだろうかと切に願っているのだ」という(渡辺さんの心境)。
12時前に輝咲に着いたら、河原先生が今日配る資料(育療)の準備をしていた。今昼の会合のメインの目的は「渡辺を叱る会」(やさしい貴志さんは「励ます会」でいいんじゃないですかと言われていたが)が、もう一つが「医療と福祉を語る会」になっていた。出席者は私と河原先生、渡辺一史さん、鈴木希望さん、中山優季さん、中島隆信教授、青木さん(医学書院)、佐々木さん(厚労省)、貴志さんの9人である。
ところで渡辺さんの略歴をウキペディアで調べると、下記のようで、我々ごときがおいそれと「叱れるような」人ではない。
渡辺一史(わたなべ かずふみ、1968年2月26日 )は、日本のフリーライター、ノンフィクション作家。北海道札幌市在住。愛知県名古屋市生まれ、大阪府豊中市育ち。大阪府立北野高等学校を経て、1987年北海道大学理Ⅱ系入学。在学中、自ら創刊したキャンパス雑誌の編集にのめり込み、1991年9月北海道大学文学部行動科学科中退。その後北海道を拠点にフリーライターとして活動する。多数の道内市町村・郷土関係の出版物に共同執筆として参加している。
2003年、札幌で自立生活を送る重度身体障害者とボランティアを描いた『こんな夜更けにバナナかよ』で第25回講談社ノンフィクション賞、第35回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。2012年、取材・執筆に8年を要した二冊目の著書『北の無人駅から』で第16回林白言文学賞、第12回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、第34回サントリー学芸賞、第26回地方出版文化功労賞受賞。読売新聞読書委員。
ところで私と渡辺さんとの付き合いは、先ほどの「夜バナ」の中に拙著「難病と生きる(1999年)」を紹介し、引用してもらったことに始まる。また当時私は厚労省の筋ジス研究班の班長をしていたが、その研究班幹事に渡辺さんと交遊のあった河原先生(当時松江病院)や石川先生(八雲病院)がおられたということも伏線になっている。
また2003年には、私が「Japan Clipping Today」という研修医向けの月刊誌に「夜バナ」の書評を書き、一方2004年には私の著書の「病む人に学ぶ」(日総研出版)の出版の際に、渡辺さんに推薦文を書いてもらったこともあった。また10年ほど前には学会時に薄野で飲んだり、渡辺さんも鹿児島に2度ほど遊びに来られたこともあった。
一般的に新人作家が何がしかの賞を授与すると、出版社の意向もあって、次々に新作を世に問うのがこの業界の習わしだと聞いたことがある。ところが渡辺さんはこの通例に反し、「夜バナ」の出版以降、「無人駅の取材を続けている」という話は聞こえてくるものの、なかなか新作を眼にすることはなかった。単なる怠惰のためとも思えたが、実は「納得のいく作品でなければ出したくない」という生真面目な信念に基づいていたのである。
「無人駅」の仲で、「ローカルでありながらも、同時に広い世界とのつながりを意識し続けること、そしてマイナーなテーマの中に、いかに普遍的なテーマを見出していくかが重要である」と書いている。これも医学の世界でも全く同じことが言えるようで、私の恩師の井形先生のテーマも「限りなくローカルな問題を限りなくインターナショナルな舞台へ」だった。まさに「地方からの発信」の時代であった。「書きながら、考え、悩み続けていたことがもう一つあった」というくだりも、私も同じ感覚を持っている。すなわち個人情報に関することで、「書いていいことと、書いてはならないことを厳しく見定める眼が必要である。こんなことを書いたら、書かれた方はたまったものではないだろう、との危惧があらゆる場面で存在するからだ」ということである。私も患者さんの物語を書くときに、いつも気になる部分である。渡辺さんは「時間をかけて取材対象者とつきあっていくということでしかなかった」と書いているが、このスタンスも私と同じ手法であり、「『まったくしょうがないやつだ』と苦笑いしながらも、受け入れてくれないだろうかと切に願っているのだ」という(渡辺さんの心境)。
