Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

西之表保健所医療相談(後)(2017/08/04) 

講演の後、ロの字型に机を並び替えて交流会となり、堀之口さんの司会で一人一人自己紹介と現況を語ってもらい、私は時々アドバイスをした。
         77歳の女性、発病して10年ほどになる。64歳になる弟がわざわざ大阪から出席されていた(実は私はほとんど忘れてしまっていたが、『5年前にも先生にいろいろとうかがいましたよ』と言われて、その記憶が蘇ってきた)。今回、また先生とお話しできるということで、姉のために6時間もかけて(鹿児島空港経由)わざわざ出席してくださったということである。若く見えたが64歳で、定年になり自由な時間はとれるようになったということである。6人兄弟で、末っ子らしいがすごい兄弟愛だと感心することだった。この女性、講演の時には座っていることがきつくなって「床に寝ていたが」、交流会では最後まで腰かけて参加されていた。
         また5年前に同じように相談を受けたという77歳の男性は、相談を受けた時がDBS(脳深部刺激療法)直後であったらしく、5年経過しても病状は安定しており、DBSがうまく機能していると感じた。私はまだ数例の経験しかないが、この患者を診ていると行き詰った患者にはもっと積極的に勧めていいのかも知れないと思うことだった。
         76歳の男性、奥さんの話では5年ほど前に急激に運動動作が衰えて、老人性筋肉萎縮症?という診断を受けたという。この4月からパーキンソン病という診断にかわったが、薬の効果はないようである。「健康食品など勧められるのですが、効果はありますか」と問われたので、「一般的にはないと思います」と答えた。
         83歳の男性は発病して15年が経っているが、すくみ足が強くて歩けないという。もっとも困ることは言葉が出ないことで、傍らの奥さんは「コミュニケーションが取れなくて困っている」と話されていた。
         67歳の女性は発病して14年が経つが、オン・オフに悩まされているということだった。
         一時間余り、和気あいあいと交流会は続いた。あまり深刻にならずに、笑い声が絶えなかったのは、比較的軽症で前向きな患者が多かったこと、島特有の陽気な風土も関係しているのだろうかと思うことである。難病法の目指すところの「地域での共生」が自然な形でできている島である。
         堀之口さんからは「先生ご講話と交流会では、先生の優しい雰囲気でみなさんも自分のお話がしやすい交流会で、私もみなさんの状況を直接聞くことができ、勉強させていただきました。また、今後の関わりにつなげていきたいです」というありがたいメールを頂いた。
         16時半ごろ、港まで送ってもらい、17時5分の高速船ロケットで鹿児島に向かった。帰りも凪いでいて揺れることはなかった。