Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

リーダーについて(4)(2017/09/28) 

私は看護について、1) 看護はアートである、2) 看護はタペストリーである、3) 看護は文学である、と話してきた(5年ほど前の宿泊研修会でも取り上げたように記憶している。今回の研修会では「看護は文学である」という部分のみ取り上げたが)。
 看護師でもないし看護の研究者でもないのに、「身の程知らずにもほどがある」話をしたのは、臨床家として、また管理者として多くの看護師(師長、部長)と接する機会もあったので、「医療のパートナーである医師からみた看護とはどういうものか」ということを独断と偏見で話すことにした。また看護も急性期病院における看護と慢性期の患者を対象にした看護では、自ずからそのやり方も異なってくる。ここではどちらかというと慢性期の患者に対する看護について話したが、根本的な考え方には大きな差異はないと思う。
 医学もそうであったように日本の看護学も戦後、欧米、特にアメリカからその考え方が伝わってきた部分が多かったのではないだろうか。Nursing artという言葉自体、日本語に訳す時に看護技術と訳すべきか、看護芸術とすべきか迷ったかと思う。技術と訳したら画一的なテクニックとなり、創造性が失われる。医学との対比で考えるとわかりやすい。もともとは医学も医術として進歩してきたわけだが、20世紀になってサイエンスが入ってきて医学となっていく。その過程で医学では技術が重んじられるようになり、創造性や個別性の高いヒューマンの部分が失われていった。そこで看護には医学で失われたことを繰り返してほしくないという願望も込めて、看護はアートであると言われるようになったのではないだろうか。ナイチンゲールはNursing is not only art but a character
 と記しているが、看護の本質をよく表した言葉ではないだろうか。看護には人間味豊かな、一人ひとりを大切にするアートであって欲しいものである。
 次の看護はタペストリーであるについて述べたい。
 タペストリーとは日本語では「さをり織り」のことで、効率優先の時代に人の手で丹念に一本ずつ織り上げて壁掛けなどに使われる室内装飾用の織物の一種である。もうずいぶん前(2003年)のことだが、研修医向けの月刊誌にスザンヌ・ゴートンの「ライフ・サポート~最前線に立つ3人のナース」(日本看護協会出版会:スザンヌ・ゴードン著で勝原祐美子、和泉成子訳)に書評を書いたことがあった。
 米国の病院で、がん、在宅ケア、緩和ケアに従事する3人の専門ナースの日常を患者の目線で取り上げ、看護していくプロセス(ナースギビング)を臨場感あふれる書き方で紹介している。3人の看護師とも有能で思いやりが深く物静かな看護の姿勢に感動しながら読んだことを覚えている。そして3人とも生来の素晴らしい看護師であったわけではなく、その見識と行動は経験と教育によって培われたもので、向上心と向学心を持ち続けながら、患者の琴線に触れるケアギビングを提供することで素晴らしいキャリアを重ね、強固で美しいタペストリーを織り上げていったのだろうと分析している。
 ゴードンは看護の果たすべき役割はタペストリーであり、高度に発展した医療技術による危険から患者を守り、患者が病気や現代の複雑なシステムの中でうまくやっていけるようにケアのタペストリーを織り上げていくのが看護師の役割である。そして看護という仕事は患者の日常生活の単純に見える繰り返しの 援助(移動、食事、排泄、入浴など)であるが、この援助こそタペストリーを織り上げていくときの一本一本の織り糸である。そのような日常の鋭い「観察」があってはじめて患者のベースラインを把握でき、ちょっとした異変に気づき、重大な結果を予測できるというのは、まさに看護の本質を突いた言葉といえる。確かに看護は「観察だ」と思う。