SWITCHインタビュー 達人達(中)(2017/10/06)
またこの番組で、作家としてのなかにし(直木賞受賞)も再認識した。「赤い月」は旧満州での壮絶な引き揚げ体験の思い出をつづっているものだが、是非読んでみたいと思うようになった。また2度のがん(食道がん)手術を乗り越えて、78歳を過ぎた今も精力的に創作活動を続けていることも驚くばかりである。
一方の野村達雄という名前は、私には初めて聞く名前だったが、ポケモンGOのクリエイターだという。中国黒竜江省(旧満州)の生まれで中国国籍。父方の祖母は日本人(残留日本人)だが、終戦の混乱時に満州から日本に戻ることできず現地の男性(中国人)と結婚した。母方の家系はみな中国人で、中国語を話して育った。当時の名前は石磊(シー・レイ)というものだった。9歳の時、家族みんなで父方の祖母の郷里の長野県に引っ越して、国籍も日本人に変えた。現在はアメリカ在住だが、国籍は日本のままだそうである。
それにしてもこの野村という青年(1986年生まれだから、現在31歳である)、流ちょうなテンポのいい日本語を話し、爽やかで笑顔が実にいい。世界中の人々をとりこにしたゲームアプリポケモンGOのプロジェクトの開発リーダーを務めたが、ゲーム開発当時は入社3年目の若手エンジニアだったというから素晴らしい才能である。
それでは実際の対談での「さわり」の部分を抜粋したい。
★ 作詞(なかにし)とプログラミング(野村)の過程は案外近いのでは?と言うことに対する野村の解説。
作詞ってその詩があって、更にそこに音楽メロディーがついて、それを歌手の方が歌うっていうプロセスがあるじゃないですか。それと同じように…これが詩にあたるんですね。
こういうふうに歌ってくれっていうと、コンピューターがそのとおりにやってくれるっていうそういうものなんですよ。
★ ここで2人のもう一つの共通点について。
それは2人が生まれた場所にある。 2人とも中国の黒竜江省(旧満州)の地で生まれたのだ。1938年なかにしは牡丹江市で生まれる。その町から北西に160キロメートルほど離れたところにある富源村で、1986年に野村は生まれた。
日本に来てお父さんもお母さんも一生懸命に働いた。それでも日本語がそんなにしゃべれる訳じゃないので。
でも仕事、何やってたんですか?
仕事は力仕事ですよね。お父さんは工事現場で働いたりとか、お母さんは最初はクリーニング店でアルバイトをしたりとか。そうやって家族を支えてくれて、まあ自分も子どもなりに分かるじゃないですか。それで親に「お小遣い頂戴」なんて言わないですし。だけど・・・ゲームをやってて更にコンピューターっていうものも欲しいってなった時に、どうしようかって思った時に、ある日、新聞配達っていう仕事に雇ってくれるって。それを聞いて、家からお金をもらうんじゃなくて、自分で欲しいものは自分でなんとか手に入れられるようにと。その時は長野にいたんですけれども。
本当に中国では結構食べるにも困っていたような時代が続いていたのに対して、こっちに来たら、好きなものが食べれるっていう、そういう何でしょう。世の中ってどんどん頑張ればいいようになっていくんだなっていう。
それはそうですね。そうですよ。
だから野村さんのそういうね、幼年期からのさまざまな経験っていうのは全部生きてるんだなあと思いますよ。そうですね。
一方の野村達雄という名前は、私には初めて聞く名前だったが、ポケモンGOのクリエイターだという。中国黒竜江省(旧満州)の生まれで中国国籍。父方の祖母は日本人(残留日本人)だが、終戦の混乱時に満州から日本に戻ることできず現地の男性(中国人)と結婚した。母方の家系はみな中国人で、中国語を話して育った。当時の名前は石磊(シー・レイ)というものだった。9歳の時、家族みんなで父方の祖母の郷里の長野県に引っ越して、国籍も日本人に変えた。現在はアメリカ在住だが、国籍は日本のままだそうである。
それにしてもこの野村という青年(1986年生まれだから、現在31歳である)、流ちょうなテンポのいい日本語を話し、爽やかで笑顔が実にいい。世界中の人々をとりこにしたゲームアプリポケモンGOのプロジェクトの開発リーダーを務めたが、ゲーム開発当時は入社3年目の若手エンジニアだったというから素晴らしい才能である。
それでは実際の対談での「さわり」の部分を抜粋したい。
★ 作詞(なかにし)とプログラミング(野村)の過程は案外近いのでは?と言うことに対する野村の解説。
作詞ってその詩があって、更にそこに音楽メロディーがついて、それを歌手の方が歌うっていうプロセスがあるじゃないですか。それと同じように…これが詩にあたるんですね。
こういうふうに歌ってくれっていうと、コンピューターがそのとおりにやってくれるっていうそういうものなんですよ。
★ ここで2人のもう一つの共通点について。
それは2人が生まれた場所にある。 2人とも中国の黒竜江省(旧満州)の地で生まれたのだ。1938年なかにしは牡丹江市で生まれる。その町から北西に160キロメートルほど離れたところにある富源村で、1986年に野村は生まれた。
日本に来てお父さんもお母さんも一生懸命に働いた。それでも日本語がそんなにしゃべれる訳じゃないので。
でも仕事、何やってたんですか?
仕事は力仕事ですよね。お父さんは工事現場で働いたりとか、お母さんは最初はクリーニング店でアルバイトをしたりとか。そうやって家族を支えてくれて、まあ自分も子どもなりに分かるじゃないですか。それで親に「お小遣い頂戴」なんて言わないですし。だけど・・・ゲームをやってて更にコンピューターっていうものも欲しいってなった時に、どうしようかって思った時に、ある日、新聞配達っていう仕事に雇ってくれるって。それを聞いて、家からお金をもらうんじゃなくて、自分で欲しいものは自分でなんとか手に入れられるようにと。その時は長野にいたんですけれども。
本当に中国では結構食べるにも困っていたような時代が続いていたのに対して、こっちに来たら、好きなものが食べれるっていう、そういう何でしょう。世の中ってどんどん頑張ればいいようになっていくんだなっていう。
それはそうですね。そうですよ。
だから野村さんのそういうね、幼年期からのさまざまな経験っていうのは全部生きてるんだなあと思いますよ。そうですね。
