Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

公衆衛生学会(1)(2017/11/15) 

日本公衆衛生雑誌が送られてきた。すごい重量感で、700ページを超えており体重計で測ると1.5キロである。10月31日から11月2日にかけて鹿児島市で開催される総会(鹿児島大学名誉教授の秋葉澄伯先生が会長)の抄録集になっている。名誉会長が県知事であり、行政をも横断的に束ねた学会ともいえる。この時期に開催日を選んだのも、出席者が「おはら祭り」も楽しんでもらい、観光にも一役買いたいという思惑もあると聞いたような気がする。
 私はこの学会とは直接の関係はないのだが、学術部会長の揚松龍治先生の推薦で、県民交流センターでの講演を頼まれている。タイトルは私の難病物語と「難病法」とした。金沢での日本難病ネットワーク学会と、結果的にはほぼ同じタイトルになってしまった。
 (本文)
 2015年1月から施行されている「難病法」の基本理念には、「社会参加」と「地域社会での共生」という文言が含まれている。法律文としては異例のことだと言われたが、この二つの言葉には、当時難病対策委員会委員長だった故金澤先生と私(副委員長)の強い思いが込められている。
 私は1972年に医学部を卒業し、故井形先生の主宰する第三内科に入局した。奇しくも医師生活を始めたこの年に「難病対策要綱」が制定された訳だが、その後の難病との関わりを考える時、不思議な縁を感じている。
 1974年に東京都立府中病院に務めたが、この時の18歳の重症筋無力症の女子高校生の生き方が、「就労の大事さ」を私に教えてくれた。彼女は数々の苦難を乗り超えて、小さいころからの夢であった美容師の仕事を、オーナーの理解もあって40年近く立派に続けることができた。
 1984年に国立療養所(現在の国立病院機構)南九州病院に異動になったが、病院から車で一時間ほどの寒村にある保健所長から、「お父さん(43歳)がALSになり、家族(母親と14歳の兄、11歳の妹)の3人で、2年間24時間交代で胸押し(用手補助呼吸)をしている。どげんかならんかね」との相談を受けた。幸い、体外式陰圧人工呼吸器が手に入り、在宅での療養を継続できていたが、半年ほど経ったある朝、眠るように亡くなられた。私が難病の在宅ケアを始めるきっかけとなった例であり、まだ訪問看護や介護保険などの制度もなかった時代であったが、困った時にちょっと手助けするだけで在宅での療養も可能となることを教えてくれた。
 さまざまな経緯を経ながら難病法が2014年5月に国会を通過した。難病法では基本方針として①できる限り早期に正しい診断ができる体制(難病医療支援ネットワーク)、②診断後はより身近な医療機関で適切な医療を受けることができる体制(難病医療拠点病院と協力医療機関)、③遺伝子診断等の特殊な検査について倫理的な観点も踏まえつつ幅広く実施できる体制、④小児慢性特定疾病児童等の移行期医療を適切に行うことができる体制を実施目標に掲げている。
 また都道府県ごとに、難病医療連絡協議会や難病対策地域協議会を設置し、地域の実情に沿った形で難病医療を推進することとなった。難病患者の長期療養に関しては、「状態のいい時には在宅や施設で療養し、医療的処置や緊急時にはいつでも医療機関で治療できる体制」が好ましい。そのためには今後、医療・保健・福祉の緊密な連携、訪問看護師や介護士(家族以外の介護者のための吸痰吸引等講習会)の教育研修、看護小規模多機能型居宅介護(居宅通所介護)等の充実も必要となる。
 さらに難病法には、難病の患者の療養生活の質の維持向上を支援することを目的とする施設(難病相談支援センター)を各都道府県は設置することができるとしている。鹿児島県難病相談支援センターの活動についても紹介したい。