懐かしいご縁(2017/11/14)
「友、遠方よりきたる」である。
10月31日のお昼前、病院のフロントから「東京医科歯科大学の河原さんという方がおみえです」という電話である。すぐ「今、鹿児島市で開催中の公衆衛生学会に来られたのだな」とピンときた。幸いにもちょうど空いている時間だったので外来に行くと、先生が向こうから私の方に歩いて来られた。そのまま南風カフェに案内して、しばし昔話も交えながら楽しい雑談の時間を持つことができた。
まず名刺を2枚頂いたが、その活躍ぶりと幅の広さに驚いた。本職は医科歯科大学の政策科学分野と医療管理政策学コースの教授である。その裏面を見ると、日本赤十字社血液事業審議会委員、環境省疫学研究に関する審査検討会委員、日本医学会医学用語委員会委員、日本医療機能評価機構倫理審査委員会部会長と客員研究主幹、国立病院機構臨床研究推進委員会委員、福井県小浜市「杉田玄白賞」審査委員会副委員長、そしてさまざまな大学の非常勤講師、またいくつかの県の地域医療構想調停会議の委員などもされているという。そしてもう一枚の名刺には、NPO法人「医療に質に関する研究会」理事長とある。
「先生と同じように、井形先生のいわれていた『頼まれたら断らない』を実践してきたら、こうなっやいました」と笑いながら話されていた。そういえば、先生も井形先生とも懇意にされていた。
先生と私との初めての出会いは、かれこれ20数年前である。南九州病院の院長だった川嶋先生(当時私は副院長だったが)が音頭をとって、平成4年頃に「南九州医療福祉研究会」を発足させた。この時に川嶋先生の厚労省と、そしてまた長崎大学の後輩だった河原先生を講師として鹿児島まで招いたことがあった。当時河原先生は厚労省の医系技官であったが、都合2回ほど来ていただいたように記憶している。確か二回目に来られた時だったかと思うが、一緒にゴルフに行ったことがあった。ところが、東京に帰ってから胸痛があり、調べてみたら肋骨に骨折があったということで、あとで大笑いしたものである。よく言えば「何事にも熱中する」という先生の面目躍如のなせる業だと思うことだった。当時はまだ「緩やかな時代」で、そのような楽しい「おもてなし」ができたのである。
その後、先生が福井県の健康増進課長で出向した時には、今度は私を保健師への講演に招いてくれた。当時、やはり同じように出向していた西辻さん(いわゆる厚労省キャリア)も交えて、一緒に飲んだのも楽しい思い出である。西辻さんは鹿児島市の出身(甲南高校と言っていた)で、生まれは南風病院の近くということだった。また南九州病院時代には姶良郡医師会で講師をお願いしたこともあった。
久し振りに先生と話しながら、医療は勿論のことさまざまな社会問題、教育などに幅広い見識を持っておられることに驚いた。もともと法学部の出身で、それから医学部に入り直しているので当然と言えば当然の結末だろう。大学教授に転身する厚労省での最後のポストが血液対策課の課長補佐だったかと思うが、現在でも血液行政では第一人者のようである。さまざまなキャリアを経験して「そろそろ潮時かな」と言われていたが、まだまだこれからである。
10月31日のお昼前、病院のフロントから「東京医科歯科大学の河原さんという方がおみえです」という電話である。すぐ「今、鹿児島市で開催中の公衆衛生学会に来られたのだな」とピンときた。幸いにもちょうど空いている時間だったので外来に行くと、先生が向こうから私の方に歩いて来られた。そのまま南風カフェに案内して、しばし昔話も交えながら楽しい雑談の時間を持つことができた。
まず名刺を2枚頂いたが、その活躍ぶりと幅の広さに驚いた。本職は医科歯科大学の政策科学分野と医療管理政策学コースの教授である。その裏面を見ると、日本赤十字社血液事業審議会委員、環境省疫学研究に関する審査検討会委員、日本医学会医学用語委員会委員、日本医療機能評価機構倫理審査委員会部会長と客員研究主幹、国立病院機構臨床研究推進委員会委員、福井県小浜市「杉田玄白賞」審査委員会副委員長、そしてさまざまな大学の非常勤講師、またいくつかの県の地域医療構想調停会議の委員などもされているという。そしてもう一枚の名刺には、NPO法人「医療に質に関する研究会」理事長とある。
「先生と同じように、井形先生のいわれていた『頼まれたら断らない』を実践してきたら、こうなっやいました」と笑いながら話されていた。そういえば、先生も井形先生とも懇意にされていた。
先生と私との初めての出会いは、かれこれ20数年前である。南九州病院の院長だった川嶋先生(当時私は副院長だったが)が音頭をとって、平成4年頃に「南九州医療福祉研究会」を発足させた。この時に川嶋先生の厚労省と、そしてまた長崎大学の後輩だった河原先生を講師として鹿児島まで招いたことがあった。当時河原先生は厚労省の医系技官であったが、都合2回ほど来ていただいたように記憶している。確か二回目に来られた時だったかと思うが、一緒にゴルフに行ったことがあった。ところが、東京に帰ってから胸痛があり、調べてみたら肋骨に骨折があったということで、あとで大笑いしたものである。よく言えば「何事にも熱中する」という先生の面目躍如のなせる業だと思うことだった。当時はまだ「緩やかな時代」で、そのような楽しい「おもてなし」ができたのである。
その後、先生が福井県の健康増進課長で出向した時には、今度は私を保健師への講演に招いてくれた。当時、やはり同じように出向していた西辻さん(いわゆる厚労省キャリア)も交えて、一緒に飲んだのも楽しい思い出である。西辻さんは鹿児島市の出身(甲南高校と言っていた)で、生まれは南風病院の近くということだった。また南九州病院時代には姶良郡医師会で講師をお願いしたこともあった。
久し振りに先生と話しながら、医療は勿論のことさまざまな社会問題、教育などに幅広い見識を持っておられることに驚いた。もともと法学部の出身で、それから医学部に入り直しているので当然と言えば当然の結末だろう。大学教授に転身する厚労省での最後のポストが血液対策課の課長補佐だったかと思うが、現在でも血液行政では第一人者のようである。さまざまなキャリアを経験して「そろそろ潮時かな」と言われていたが、まだまだこれからである。
