Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

風の会ザビエル文化の集い(2)(2017/11/06) 

その後、私の司会で「鼎談」となった。前もって簡単な打ち合わせはしていたが、いわばぶっつけ本番である。以下、私が事前にまとめていた部分と、当日の簡単なやり取りを適当に記述する。
 ・・・ただ今、長年の同志というか、仕事仲間でもあった岩崎さんから、美由紀さん(みゆきといつも読んでいたので、ちょっと戸惑いますが)のプロフィールを紹介させてもらいました。
 みゆきさんが亡くなって、早いものでちょうど6か月がたつことになります。みゆきさんは2017年4月26日に、58年の生涯を閉じました。一口で言うならば「みゆきさんの一生は、障がいを持つ人の素晴らしいロールモデルじゃなかったか」と思っています。
 2015年1月1日に国会で「難病法」が制定されました。私もその原案の作成に関わったのですが、その理念は「社会参加と共生社会の実現」というものでした。みゆきさんこそ、この二つの理念を見事に達成した生き方だったように思います。
 個人的にはみゆきとは1976年ごろからの付き合いですので、40年ほどになります。
 2013年3月に私も南九州病院を退官後、現在の急性期医療を専門とする南風病院に移ったので、ともすれば忘れがちになる「筋ジス医療」の世界に繋ぎ止めてくれたともいえます。生まれた時から難病の一つである脊髄性筋萎縮症という病気と闘いながら、持ち前のおおらかさで、明るく懸命に生き抜いた一生でした。
 私も筋ジス病棟を去って4年半が経ちます。在りし日を振り返るとき、あの時代は考えようによっては「ユートピア的世界ではなかったのか」とひそかに誇りに思っています。先日、下関の梶山さん(みゆきさんの仕事上の友人でもあったという)を見舞いに行った時、「古き良き病棟という感じでしたね」と似たような表現を使っていました。「笑ったり泣いたり怒ったりと、人間臭さがありました」とも語っていました。彼も当時、松江病院の筋ジス病棟に入院していました。
 どんなに辛かったことでも、過ぎ去ってしまえば甘い思い出に変わってしまいます。それでも「よかったなあ、あの頃は」と、つい思ってしまいます。入院していた患者さんの病状も軽く、スタッフも若く元気があり、「この病気とそして病気の人をどうにかしたい」という強い使命感に燃えた若いスタッフが集っていました。今日司会をされている今村さんも臨床心理士として、患者さんのいろいろな悩みに関わっていました。
 私が退官するときに、山田君(脊髄性筋萎縮症)が南日本新聞の「ひろば」欄に、「福永先生と過ごした輝ける年月」というタイトルで投稿してくれました。
 ・・・先生と過ごしてきた年月には、今は衰えてしまった身体でもそれぞれにはつらつとしていた瞬間があり、過酷な症状になってもベッド上から自分を発信する姿もある。またその中には、夢半ばで天に旅立った僚友たちの顔もあった・・・
 どうしようもないことですが、歳月とともに「筋ジス病棟の仲間が一人ずつ旅立った」という報せを聞くしかない、もどかしさを感じています・・・