風の会ザビエル文化の集い(3)(2017/11/07)
さて、この鼎談は4つに分けています。最初に「みゆきさんの筋ジス病棟での生き方」ということで、さきほど岩崎さんが大まかに話してくれました。
次に「ビューの会」のこと、そして「てくてくでのみゆきさん」、最後に「筋ジス患者の心模様」という順序で話を持っていきたいと思いますが、ちょっと時間が押していますのでどうなりますやら。
それでは、「ビユーの会とぶどうの木(調剤薬局)、加治木饅頭のこと」に移りたいと思います。ビューの会は病棟と社会をつなぐ啓発活動で、ぶどうの木はその実践活動と言う位置づけだったかと思います。加治木饅頭は川涯先生の奥さんが、社会に出るための資金を売るために始められたことで、ずぶの素人が大変な努力で加治木町でもその味が一二を争うまでになったと言いますから、凄い苦労だったかと思います。
私の方で簡単に、ビューの会の成り立ちや活動についてまとまると次のようになる。
1996年(平成8年)、当時加治木養護学校に勤めておられた川涯先生が中心になって、「Viewの会」というものを設立し、患者の岩崎さんが会長で、私も一時期副会長として参加していました。趣旨は「福祉の視点から文化を拓く」というもので、南九州病院の横を流れる別府川は地元の人たちがビュー川と呼んでいたので、「Viewの会」と名付けた経緯があります。活動の一つに、年に二回機関誌「View川通信」を発行し、また秋には講演会なども企画していた。講演会には手弁当で、NHKの鈴木健二、嶋村俊治の両アナウンサーや、『千の風になって』でブレークした芥川賞作家の新井満さん、なども講演してくれました。
この辺りの経緯について、岩崎さんと美智恵さんに話してもらいます。
ここでは美智恵が立派なスライドを用意して、淡々と「ビューの会」から「ぶどうの木薬局」、加治木饅頭の販売など、手際よくわかりやすくしゃべってくれた。どうして「ぶどうの木」の仕事を辞めて、「てくてく(自立生活センター)」に移ったのかに関しては次のように話していた。
調剤薬局である「ぶどうの木」の運営が難しく感じたこともあります(一年ほど、二人でビシッと制服も決めて働いた)が、この仕事は健常な人を含めて誰でもできる。ところが「てくてく」の仕事は障がいを持った自分たちでないとできないのではないかと思ったそうである。たとえ重度の障害者でも、自分らしく生きていける世界を創っていきたい、同朋のためにも。障害があっても平等に生きる権利があると思ったそうである。別な言い方をすれば、障害があるからこそできる仕事ではないだろうかと。
私はこの話を聞きながら、筋ジス患者だった轟木敏秀のサポーターの一人、関根千佳さん(横浜にある株式会社ユーディットの会長)の会社のことも考えていた。関根さんの会社では障害のある人がたくさん働いているが、障害の程度が高いほど「威張っておれる会社だ」と聞いたことがあった。
次に「ビューの会」のこと、そして「てくてくでのみゆきさん」、最後に「筋ジス患者の心模様」という順序で話を持っていきたいと思いますが、ちょっと時間が押していますのでどうなりますやら。
それでは、「ビユーの会とぶどうの木(調剤薬局)、加治木饅頭のこと」に移りたいと思います。ビューの会は病棟と社会をつなぐ啓発活動で、ぶどうの木はその実践活動と言う位置づけだったかと思います。加治木饅頭は川涯先生の奥さんが、社会に出るための資金を売るために始められたことで、ずぶの素人が大変な努力で加治木町でもその味が一二を争うまでになったと言いますから、凄い苦労だったかと思います。
私の方で簡単に、ビューの会の成り立ちや活動についてまとまると次のようになる。
1996年(平成8年)、当時加治木養護学校に勤めておられた川涯先生が中心になって、「Viewの会」というものを設立し、患者の岩崎さんが会長で、私も一時期副会長として参加していました。趣旨は「福祉の視点から文化を拓く」というもので、南九州病院の横を流れる別府川は地元の人たちがビュー川と呼んでいたので、「Viewの会」と名付けた経緯があります。活動の一つに、年に二回機関誌「View川通信」を発行し、また秋には講演会なども企画していた。講演会には手弁当で、NHKの鈴木健二、嶋村俊治の両アナウンサーや、『千の風になって』でブレークした芥川賞作家の新井満さん、なども講演してくれました。
この辺りの経緯について、岩崎さんと美智恵さんに話してもらいます。
ここでは美智恵が立派なスライドを用意して、淡々と「ビューの会」から「ぶどうの木薬局」、加治木饅頭の販売など、手際よくわかりやすくしゃべってくれた。どうして「ぶどうの木」の仕事を辞めて、「てくてく(自立生活センター)」に移ったのかに関しては次のように話していた。
調剤薬局である「ぶどうの木」の運営が難しく感じたこともあります(一年ほど、二人でビシッと制服も決めて働いた)が、この仕事は健常な人を含めて誰でもできる。ところが「てくてく」の仕事は障がいを持った自分たちでないとできないのではないかと思ったそうである。たとえ重度の障害者でも、自分らしく生きていける世界を創っていきたい、同朋のためにも。障害があっても平等に生きる権利があると思ったそうである。別な言い方をすれば、障害があるからこそできる仕事ではないだろうかと。
私はこの話を聞きながら、筋ジス患者だった轟木敏秀のサポーターの一人、関根千佳さん(横浜にある株式会社ユーディットの会長)の会社のことも考えていた。関根さんの会社では障害のある人がたくさん働いているが、障害の程度が高いほど「威張っておれる会社だ」と聞いたことがあった。
