山口君からタンゴ君(後)(2017/12/26)
鹿児島中央駅、16時13分発のさくら564号に乗り込んで、17時22分に久留米駅に到着した。息子と孫のタンゴ君がタクシーで駅まで迎えに来てくれていたので同乗して、今夜宿泊することになっている萃香園ホテルに向かった。このホテルは明治15年の創業で135年記念という大きな垂れ幕も飾られていた。30年ほど前、都立府中病院で一緒に仕事をしていた庄司先生が久留米大学の教授になっていた頃、年に1,2回講義に呼ばれた時によくとってくれていたホテルである。後でわかったことだが、博多で「嵐」のコンサートがあり、そのためにこのホテルのロイヤルスイートしか空いていなかったということだった。
確かにロイヤルスイートだけあって、無駄に広く、浴室などジェットバス付である。私はホテルは眠ってしまえばどこも同じという考え方なので、東横インで充分なのだが今回は致し方ない。
翌朝、息子と二男のレンゴ君が迎えに来てくれて、また同乗して「石橋文化ホール」に向かった。久留米にはブリッジストーンの創業者である石橋財団にちなんだ施設がたくさんある。この文化ホールも1964年に寄贈されたもののようである。9時からの開場というのに、扉の前には大勢の人が並んでいた。よく言われるように人集めには「幼稚園の子どもの出演、動物を連れてくる、・・・」と言われているが、確かに一人の園児が出演すると両親と両方の爺ちゃん、婆ちゃんを含めると6人を確保できる計算になる。しばらく寒い中で並んで待っていると、脇田先生から挨拶された。彼は鹿児島大学の呼吸器外科から南風病院にも派遣されていた外科医(娘の高校時代の同窓でもあったようである)だったが、現在は八女総合医療センターの緩和ケア病棟を担当しているということだった。
さて「第81回聖母幼稚園クリスマス祝賀会」は9時30分に開会となった。園長と保護者代表の挨拶、園児代表の開会の言葉に引き続いて合奏「ゆかいな牧場」が終わった時、大きなハプニングが起きた。火災報知機が鳴ったのち、アナウンスで「火事です。2階で火災が発生しました。安全を確認のうえ外に避難してください!火事です!火事です」。火の気も煙も匂いもないので「誤作動」とは思いながら、一応ロビーの方に避難した。しばらくして点検後、「誤作動」ということになったが、全く人騒がせなハプニングであった。
孫のタンゴの出番は二つあって、プログラムでは2番目の「合奏 こぎつね、いとまき、年少」と6番目の「リズム劇、ブレーメンの音楽隊、ゆり3.4.5、年少、年少小」の二つである。リハーサルの録画を見ていた息子からは「タンゴはみんなの演技についていけないかもしれないので、あらかじめご了解を」と言われていたが、確かに時々同窓や先生に「プッシュ」される場面もあったが、まあまあ上出来の部類ではなかっただろうか。翻ってみると、息子も小学校の頃は似たようなものだった。私も主役になることはなく、いつもわき役だったように、今のタンゴ君と似通っていたのかも知れない。
確かにロイヤルスイートだけあって、無駄に広く、浴室などジェットバス付である。私はホテルは眠ってしまえばどこも同じという考え方なので、東横インで充分なのだが今回は致し方ない。
翌朝、息子と二男のレンゴ君が迎えに来てくれて、また同乗して「石橋文化ホール」に向かった。久留米にはブリッジストーンの創業者である石橋財団にちなんだ施設がたくさんある。この文化ホールも1964年に寄贈されたもののようである。9時からの開場というのに、扉の前には大勢の人が並んでいた。よく言われるように人集めには「幼稚園の子どもの出演、動物を連れてくる、・・・」と言われているが、確かに一人の園児が出演すると両親と両方の爺ちゃん、婆ちゃんを含めると6人を確保できる計算になる。しばらく寒い中で並んで待っていると、脇田先生から挨拶された。彼は鹿児島大学の呼吸器外科から南風病院にも派遣されていた外科医(娘の高校時代の同窓でもあったようである)だったが、現在は八女総合医療センターの緩和ケア病棟を担当しているということだった。
さて「第81回聖母幼稚園クリスマス祝賀会」は9時30分に開会となった。園長と保護者代表の挨拶、園児代表の開会の言葉に引き続いて合奏「ゆかいな牧場」が終わった時、大きなハプニングが起きた。火災報知機が鳴ったのち、アナウンスで「火事です。2階で火災が発生しました。安全を確認のうえ外に避難してください!火事です!火事です」。火の気も煙も匂いもないので「誤作動」とは思いながら、一応ロビーの方に避難した。しばらくして点検後、「誤作動」ということになったが、全く人騒がせなハプニングであった。
孫のタンゴの出番は二つあって、プログラムでは2番目の「合奏 こぎつね、いとまき、年少」と6番目の「リズム劇、ブレーメンの音楽隊、ゆり3.4.5、年少、年少小」の二つである。リハーサルの録画を見ていた息子からは「タンゴはみんなの演技についていけないかもしれないので、あらかじめご了解を」と言われていたが、確かに時々同窓や先生に「プッシュ」される場面もあったが、まあまあ上出来の部類ではなかっただろうか。翻ってみると、息子も小学校の頃は似たようなものだった。私も主役になることはなく、いつもわき役だったように、今のタンゴ君と似通っていたのかも知れない。
