大島紬のネクタイ(2017/12/22)
「一期一会(いちごいちえ)」とは、茶道に由来する日本のことわざで「茶会に臨む際には、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるということを心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くす心構えを意味する」とある。
随分前にこのランで、次のよう話題を紹介したことがあった。
50代の女性が奄美大島からPET健診に訪れた。「母の看病疲れのためか、どうも最近体調が思わしくないので心配になって検査を受けました。母は95歳になりますが、おむつを嫌がって、夜中も5回ほど起きて、トイレに連れて行っています」と言われる。
小学校の先生をされていたが、30代の半ばの頃、腱鞘炎を患い、医師から手術を勧められた。たまたま鍼灸師との出会いがあり、数か月施術を受けたらすっかり良くなった。母の介護など考えると自宅で仕事ができたらいいと思って、40代になってから学校に通い鍼灸師の資格を取得し、現在は名瀬市で開業しているという。
待合室に置いてあった私の本を読んでくれたらしく、「わあ、先生が書かれたんですか。注文しようと思って出版社を控えてきました」と嬉しいことを言われる。早速、その本を一冊お上げすることだった。
それからしばらく経った頃、大島紬のネクタイが送られてきた。同封の葉書にはきれいな筆体で次のように書かれていた。
先生、お変わりございませんか。ご本。ありがとうございました。私の不安な心にポット灯りがつきました。大切にさせていただきます。
ご本の中にありましたYさんのお話「大島紬のネクタイをプレゼントされたい」彼女の思いを私がお手伝いさせていただきたいと思います(勝手ですが)。お体を大切にされてご活躍くださいませ。(終)
本の中のYさんの話は次のようなもので「難病医療とのながい道」のなかの、「同時代を生きた女性の死」というものからである。
60歳の女性で、元南九州病院の看護師をされていたが、母の介護のために早期退職、がんを発病し緩和ケア病棟で療養していた。「看護師として働いていたときから、がんになったら化学療法など一切しないと決めていましたので・・・」
結果的には2か月ほどの療養の末、亡くなられたのだが、私は東京への出張中で亡くなられた時には見送ることはできなかった。緩和ケア病棟の鳥越師長からのメールには次のように書き込まれていた。
お帰りの時の大島紬のジャケットがとてもお似合いで、Yさんのお気に入りの服だったそうです。大島紬といえば、「もう何もかも準備は整っています」と言われていたYさんでしたが、一週間くらい前に「外出したい」と言われました。目的は「大島紬のネクタイを買いたい」とのことでした。結局外出はできませんでしたが、最後のケアの時に妹さんにそのことをお尋ねしたところ、院長先生に自分で選んだネクタイをプレゼントしたかったのだそうです。妹さんが買ってくると言われたそうですが、どうしても自分で選びたいとのことだったそうです。「思いは叶わなかったけど、その気持ちは伝えておきますね」と、Yさんに話しかけながら、ケアさせていただきました。・・・
随分前にこのランで、次のよう話題を紹介したことがあった。
50代の女性が奄美大島からPET健診に訪れた。「母の看病疲れのためか、どうも最近体調が思わしくないので心配になって検査を受けました。母は95歳になりますが、おむつを嫌がって、夜中も5回ほど起きて、トイレに連れて行っています」と言われる。
小学校の先生をされていたが、30代の半ばの頃、腱鞘炎を患い、医師から手術を勧められた。たまたま鍼灸師との出会いがあり、数か月施術を受けたらすっかり良くなった。母の介護など考えると自宅で仕事ができたらいいと思って、40代になってから学校に通い鍼灸師の資格を取得し、現在は名瀬市で開業しているという。
待合室に置いてあった私の本を読んでくれたらしく、「わあ、先生が書かれたんですか。注文しようと思って出版社を控えてきました」と嬉しいことを言われる。早速、その本を一冊お上げすることだった。
それからしばらく経った頃、大島紬のネクタイが送られてきた。同封の葉書にはきれいな筆体で次のように書かれていた。
先生、お変わりございませんか。ご本。ありがとうございました。私の不安な心にポット灯りがつきました。大切にさせていただきます。
ご本の中にありましたYさんのお話「大島紬のネクタイをプレゼントされたい」彼女の思いを私がお手伝いさせていただきたいと思います(勝手ですが)。お体を大切にされてご活躍くださいませ。(終)
本の中のYさんの話は次のようなもので「難病医療とのながい道」のなかの、「同時代を生きた女性の死」というものからである。
60歳の女性で、元南九州病院の看護師をされていたが、母の介護のために早期退職、がんを発病し緩和ケア病棟で療養していた。「看護師として働いていたときから、がんになったら化学療法など一切しないと決めていましたので・・・」
結果的には2か月ほどの療養の末、亡くなられたのだが、私は東京への出張中で亡くなられた時には見送ることはできなかった。緩和ケア病棟の鳥越師長からのメールには次のように書き込まれていた。
お帰りの時の大島紬のジャケットがとてもお似合いで、Yさんのお気に入りの服だったそうです。大島紬といえば、「もう何もかも準備は整っています」と言われていたYさんでしたが、一週間くらい前に「外出したい」と言われました。目的は「大島紬のネクタイを買いたい」とのことでした。結局外出はできませんでしたが、最後のケアの時に妹さんにそのことをお尋ねしたところ、院長先生に自分で選んだネクタイをプレゼントしたかったのだそうです。妹さんが買ってくると言われたそうですが、どうしても自分で選びたいとのことだったそうです。「思いは叶わなかったけど、その気持ちは伝えておきますね」と、Yさんに話しかけながら、ケアさせていただきました。・・・
