Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

「33回忌」(2017/12/13) 

小野町にある県難病相談支援センターでのこと、「先生のお知り合いという方がおられますが」とセンターの職員に声をかけられた。部屋に入ると、中年の大柄な女性が「私は内屋敷の子どもです」と名乗られた。叔父さんに替って、パーキンソン病の指定難病の申請に来られたということである。「内屋敷さんと言われると、あの吉田町の内屋敷さんですか」と訊ね返す。「そうです。ALSで亡くなった内屋敷の長女で、先日父の33回忌を済ませました」と言われた。
 そういえば、やはり同じころに南九州病院で関わったことのある伊佐市の下小園さんも33回忌を済ませたということだったので、時系列で整理してみた。
 私が3年間のアメリカ留学から帰国したのが1983年の7月で、6か月間大学で仕事した後、1984年1月から、国立療養所南九州病院の神経内科医長として赴任した。この時に、その後のALSの在宅医療を行うきっかけとなったのが、内屋敷さんと下小園さんとの出会いである。
 内屋敷さんは1939年の生まれで、1977年、38歳の時に発病している。20年間務めた農機具会社を辞めて、自宅に代理店を開店しようとしていた矢先だった。翌年にALSと診断されたが、仕事はそのまま続けた。この時に15歳の長女、10歳と8歳の男の子がいた。1982年になると歩行できなくなり、翌年には仕事を辞めることを勧められたが聞き入れず、文字盤を使い奥さんの仲介で仕事を続けた。そして1984年3月に亡くなっている。
 ということは、私とはわずか3か月間の付き合いということになる。この時に、私は主治医を佐野先生(故人)から引き継いで、その前からかかわりのあった稲元婦長(当時)と3度ほど在宅訪問をした記憶がある。
 1992年10月の医事新報に「印象深いALSの在宅患者さん」という随筆を書いた。内屋敷さん、下田さん、下小園さんの生き方や死に方について触れたものだったが、この随筆は結構な反響で、全国の多くの方から手紙を頂いた。
 2009年7月に出版した「病と人の生き方と」(随筆かごしま社)に「23年前の思い出」という項に、内屋敷さんの娘さんからの手紙を紹介している。
 「突然のお手紙で申し訳ありません。先日、知り合いの方から、先生のご本に父のことが書いてある(2007年に発行した『早起き院長のてげてげ通信』(随筆「かごしま社))と、本を頂きました。筋萎縮性側索硬化症で23年前に亡くなった内屋敷の長女で、私も39歳になり二人の娘の母となっております。母は65歳で、元気に働いており、兄にも二人の子ども、弟は三人の子どもがいます。父の発病の年と同じになり、つくづく若くして苦労してきた母の大変さ、父の辛さを考えると涙が出てきます。毎日の生活の中で父を思い出すことは少なくなっていました。これからは父に語りかけながら、仕事や子育てに頑張っていこうと思います・・・」。
 内屋敷さんとは稲元婦長の方がより親密で、亡くなる前にも駆けつけられたのではないだろうか。早速電話すると、稲元さんも76歳になられたそうで、お互いの電話での昔話にしばし花が咲いた。
 下小園さんと内屋敷さん、ほぼ同じ年頃で、死亡された年も同じ歳だったので、それぞれ33回忌が今年済んだという訳である。結局、私と難病(ALS)との絆も、33年だったということになる。