Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

思い出はつながる(後)(2018/01/26) 

(この後、有馬さんの長文の手紙になるが、今は亡き私の知らない津曲さんを思い出しながら、手紙を片手にキーを叩いている。当時有馬さんも20代だったのだろう)。
 鹿児島中央駅が西鹿児島駅であった時、私の職場は駅の案内所(日観連西鹿児島案内所)でした。日観連に加盟しているホテルのご案内(予約を取る)するのが私たちの仕事でした。当時、津曲さんは東急インに勤務されていて、フロント担当の方でした。ホテルの予約なしで来られた方の希望に応じて各ホテルの空室状況を確認(電話で)し、予約券を発行していました。その際、いつも爽やかな応対で繁忙期等の時も融通してくださり、助けていただくことが多かったです。窓口にも定期的に顔を出してくださり、パンフレットのお届けも断トツで、当時の案内所、所長にとても信頼されていました。そんな感じでしたので、私たちもお目にかかる機会が多く気さくな方でしたので、いろいろなお話もしたものです。
 タイセイアネックスになっているところが当時は東急インで、現在の場所に新築される前でしたが、津曲さんが来られて「もともと東急観光を希望していたのでそちらに行きます」と嬉しそうに言われたことを今でも思い出します。
 そのご縁で私たちの新婚旅行のチケットの手配をお願いしたこともありました。津曲さんにお会いしたのが27年前の5月に2回、依頼と受け取り・お支払いの時でした。
 それから後は、東急観光の場所が朝日通りの美華園の所からどこかに移転されたようで、お目にかかることはありませんでした。
 今回、先生の記事で津曲さんに再会できたのですが、先生を通しての不思議なご縁にビックリです。子供たちが旅立ってからたくさんのふしぎなご縁があり、大きな力を頂いてありがたいと実感しております。子供たちは未熟な私と夫に、たくさんのことを教えるために神様が派遣してくれた天使(期間限定の)だったかも知れないと、いつしか思うようになった私です・・・。
 不思議なご縁がもう一つある。
 「悲しみを乗り越える(2014/09/10)」のランは次のような書き出しになっている。
 有馬さん(前・筋ジストロフィー協会鹿児島県支部長)から、「家内と一緒に病院に伺いたいと思いますが、お時間をとっていただけませんか」という電話をもらった。何のことだろうかと思いながら、院内のカフェで待つことにした。お二人がいらしたのでコーヒーを飲みながら聞いてみると、要件の一つは亡くなった義母へのお見舞いで、今年の初めごろ蒲生のふるさと交流館で開催された子供さんの作品展に、病気をおして観に来てくれたことへのお礼だった。
   そしてもう一つが、一昨年そして昨年と相次いでお子さん(筋ジストロフィー)を亡くされたが、息子さんたちの生き方を一冊の本にしたいとの思いで、お母さんは清水さん(敏秀君のサポーターの一人で、「死亡退院」の著者)の随筆講座に通っているというのである。そして出版の折には、私にも寄稿してほしいというものだった・・・
 ちょうどこの手紙が届いた時、その清水さんが入院して(11月27日に手術)いた。私は30日に上京して、敏秀の仲間たちと「追悼の集い」を計画していたので、清水さんの病室に伺って「ビデオメッセージ」を撮ったばかりだった。
 敏秀からサポーター(清水さんもその一人)、有馬さん、津曲さんと続く「不思議な縁」である。