Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

思い出はつながる(前)(2018/01/25) 

昨年9月に急逝された津曲さん(旅丸ツーリスト)、飛行機のチケットを取らなければならなくなると今でもよく思い出す。「あ・うん」の呼吸で、私にベストな提案をいつもしてくれていたのに。
 11月、極太の万年筆で、びっしりと書き込まれた手紙をもらった。見覚えのある名前である。男の子供さんが二人とも南九州病院の筋ジス病棟に入院されていて、2012年そして翌年と相次いで亡くなられた有馬兄弟のお母さんからである。兄弟とも性格もよく、絵がうまくて、みんなに愛されていた。  
 当時のことを私は次のように記している。
 ・・・兄の弘貴君は2013年5月17日に、南九州病院の筋ジストロフィー病棟で21歳の若さで亡くなった。私はちょうどその時に、東京で開かれていた日本筋ジストロフィー協会50周年記念式典で感謝状を頂けるということで出席していた。鹿児島に帰ってから伊集院町の妙円寺団地のご自宅に伺ったが、二つの遺影を掲げた祭壇を前にして、今にも消えてなくなりそうなお母さんの憔悴しきった表情が忘れられなかった。それもそのはずで、弟の貴大君も一年ほど前の2012年3月に、14歳という短すぎる人生を終えてしまっていた・・・
 その後、夫婦二人の生活となられているが、お母さんは立派に立ち直られた。
 さてお母さんは、私の「前院長雑感」(南風病院のホームページからだろうか)と南日本新聞の「すいもあまいも」を読んで下さっているようで、「いつもお目にかかっているような錯覚をしてしまいます」と書かれている。実際に最期にお会いしたのは3年ほど前のことである。
 ・・・突然の手紙でビックリされているかと思います。2016年5月24日の記事での「津曲さん」のお名前を拝見しまして、「あら名字だけでなく職種まで同じ方!鹿児島に多い名字なのでそんな偶然もあるかも」と思いながの拝読でした。
 2017年9月7日の「人の命の儚さ」の記事で、間違いなくあの津曲さんだったと確信しました。それで「これは是非ともお手紙を書いて、先生にお届けするべき!」になってしまいました。