Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

治療と職業生活の両立(後)(2018/01/17) 

この夜、私は筋ジストロイーの坂元博樹君の生き方について、就労との関係で紹介した。デュシェヌ型筋ジストロフィーという最重度の難病と闘いながら、仕事と治療を両立させてきた素晴らしい生き方であると思うのである。こんなに素直で、けな気に辛抱強く生きた人がいるだろうか。
 坂元君は宮崎県小林市に生まれた。兄も同じ病気で、兄の後を追うようにして小学5年の時に地域の学校から加治木養護学校に転校してきた。この時の気持ちを次のように話している。
 入院当初は不安も大きかったが、同じ病気で一生懸命生きている先輩や友達の姿を見て励まされ、自分も頑張らなければと思った。
 中学2年の時に、父母が畜産の仕事をしていたので、経営や管理面で手助けをしたいと思い、勉強して小林商業に入学した。健常児の中で当初は戸惑いもあったが、彼の人柄をよく理解した同級生が車いすを押してくれたり、二階に昇るときは車いすごと運んでくれたりと、介護面での協力を惜しまないようになっていく。学校の先生も「ハード面で整備の遅れた学校で障害のある学生を受け入れることには反対の意見もあったが、『彼のお陰で同級生にいろんな面でいい影響を与えてくれている。介護系の学校に進学したいという生徒も出てきています」と話してくれた。そして高校生では難関と言われる商業簿記の1級を取得した。高校卒業後、宮崎市にある産業経営大学に入学した。
 大学を卒業し、就職の段階になって、「まほろば福祉会」の山下さんの理解で、身体障害者療護施設「翼」に、経理の仕事に就くことができた。
 就職の厳しさに打ちのめされそうになっていたときに山下さんが手をさしのべてくれたのである。
 大学卒業と同時に施設の事務員として雇って頂きました。その後、全国で初めての障害者とその家族を対象にした三階建てのアパートが翼の隣に建設されて、家族ごと入居し、現在もそこから徒歩一分で通勤させてもらっています。
 病気になって不安になったり、病気を憎んだこともあった。ただ目標を持って生きて、たくさんの事を成し遂げることも、多くの友人にも巡りあえた。今では病気に感謝する気持ちになっている。そして障害と共に生き、人の援助を受けながら、どうしたら自立できるか自分の課題としたい。
 ところで山下さんのことについて触れると、ご自身も筋ジストロフィーという病を持っている。「同じ病気の人にも働く喜びとお金を稼ぐ尊さを実感させた」と思って身体障害者共同作業所「自立センター」を1986年に設立した。「短命ならそれでいい。自分らしく、生きよう」という強い信念に基づいていた。その後20年あまりで、宮崎市の郊外の「跡江」に大規模な複合型の福祉コンチェルンを築き上げた。彼女の努力、無心、そして支える仲間たち、行政や多くの団体の支援もあってのことだが、やはり山下さん個人の魅力(笑顔と才覚と気迫)に負うところが大きい。
 2012年に坂元君は、「優秀勤労障がい者」として県知事賞を受賞している。
 先日、山下さんに電話してみた。「坂元君、どうですか」と訊ねると、「24時間、呼吸器を着けていますが、毎日出勤して仕事をしていますよ」ということ。そして「いい時代になったですね。障がいがあってもその気になれば、どのような生き方もできるようになったのですから。私が宮崎に来たころからすると、別世界の気がします」と言うことだったが、その道筋をつけてくれたのがほかならぬ山下さんである。