Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

バレンタインの日(前)(2018/02/22) 

最近このランで、自身の旅行紀や出張の行程などを事細かに記すことが多くなっている。第三者には退屈以外の何物でもないかも知れないが、個人的には備忘録のようなもので、数年経ってから読み返すことがあったら、思い出を辿る「よすが(縁)」にでもなるかもしれないという思いである。
 バレンタインの日の2月14日、「両立支援の作業部会」のために上京することになった。この会議は厚労省で、17時から19時までの2時間が予定されている。会議に間に合うためにはANAだと12時35分発(14時10分着)で出発しなければならない。ただこの飛行機だと少し時間に余裕ができるので、会議の前にたまたま入院中の親友を見舞おうという計画を立てた。
 病院で朝の健診をそそくさと済ませたのち、11時前に車で空港に向かった。温かい朝で、高速をスムースに空港に。昼食に牛丼を食べて5番搭乗口の前の待合室で、五輪のハーフパイプの平野歩夢とショーン・ホワイトの熱戦を見入っていた。ところが「東京行のお客さん、7番搭乗口からご搭乗ください」というアナウンスにびっくりして、走って7番搭乗口に駆け付けた。飛行機は定時に出発して定時に羽田に着いたが、あいにく「到着口までバスでの案内」だったので、10分ほど時間をロスすることになった。
 東急羽田線で品川に、そこからJR山手線で五反田駅に、そこから東急池上線に乗り換えて、旗の台駅に着いたのが3時15分ごろだった。池上線に乗るのは初めてだったが、西島三重子の歌っていた「池上線」を思い出した。1976年の発表で、ちょうど都立府中病院に勤めていた頃と合致していたのでよく憶えていたのかも知れない。池上線というと、東京の下町を走る古い電車のイメージがあったが、きれいな電車に変わっていた。
 旗の台駅で降りると眼前に昭和大学の大きな建物が見えた。狭い一方通行の商店街を抜けると、昭和大学病院の入院棟に通じる。エレベーターで13階に上り、詰め所で「○○さんにお見舞いに来ました」と告げると、病室を教えてくれた。マスクをしている人はほとんどおらず、よくある見舞い客用の記載帳などもなかった。シンプルな対応で、気持ちがよかった。
 親友は術後まだ1週間だというのにすこぶる元気で、その回復ぶりにびっくりすると同時に安心した。いつもの笑顔で「時々咳き込むんだが」と言いながら、立ったまま床頭台のパソコンで仕事をしていた。手術跡を見せてもらったが、完璧な鏡視下手術であることがよく分った。病室からの窓の外の視界は大きく開けており、晴れた日には富士山も見えるという。話の途中で薬剤師チームのラウンドがあり、てきぱきとした振る舞いで感じがよかった。30分ほど雑談したのち病院を後にして、今度は五反田駅から恵比寿駅に、そして地下鉄の日比谷線に乗り換えて霞が関に、16時30分ごろには会場に着くことができた。
 この「両立支援の作業部会」は政府の働き改革の一環で、がん患者のために作成された「事業場における治療と職業生活の両立支援のためのガイドライン」の「難病患者版」を作ろうというものである。今回が三回目の作業部会で、「みずほ情報総研」の担当者が委員の議論を受けてきれいにまとめてくれていた。