Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

南薩地区での医療安全の講演会(2018/02/09) 

看護協会南薩地区「医療安全情報ネットワーク」委員長の古川さんから、医療安全についての講演を頼まれたのは数か月前のことである。医療安全についての講演は最近では断っていた(現場を遠ざかっていることもあって)のだが、私の生まれ故郷の看護協会からの依頼でもあったし、古川さんはNHO指宿医療センターの医療安全管理者であるということも手伝ってつい引き受けてしまった。
 場所は県立薩南病院ということで、私にとっては初めての場所で、ちょっと不安と期待の入り混じった心境だった。ナビ通りにいけば大丈夫だろうと思ったが、九州自動車道から指宿自動車道の谷山インターでは、過去に何度も出口を間違っている。
 2月3日、朝、節分の日であるが、寒波の影響で鹿児島でも結構寒い。病院で通常の健診業務を済ませた後、鹿児島北インターから高速に乗り、問題の谷山インターに向かった。インターでは間違ってはいけないと注意しながらナビの指示に従って前の車について行ったら、無事に県道20号線錫山バイパスに入ることができた。そこからしばらくして行くと、県道22号線に別れを告げて右折して山道をしばらく走らせると日置市である。そして金峰町を通過して、南さつま市吹上に到着した。途中で日置市を過ぎたころに突然、スマートフォンが鳴りだしてビックリしたが、原子力防災訓練のお知らせのようである。
 薩南病院は県道20号線から営門の所で直角に右折して、舗道にたくさんの石燈籠の置かれた道を突き進む。ちょうどこの日は鹿児島県高校駅伝大会が開かれていたようで、沿道には係の人や応援の高校生が多数並んでいて、時折駅伝ランナーともすれ違った。
 県立病院のすぐ近くに、万世特攻平和祈念館がある。特攻基地と言えば、知覧飛行場が有名であるが、吹上浜に面する万世(ばんせい)にも陸軍の特攻基地があったのである。私も再認識したわけだが、終戦直前の昭和20年(1945年)3月から7月までの約4ヶ月間に、201 人の特攻隊員がこの万世飛行場から沖縄に向けて出撃して帰らぬ人となったのだという(知覧からの出撃者は436名)。
 鹿児島市から会場までの走行時間が、予定していたよりずいぶん早く着くことができたので、吹上浜海浜公園の中や薩南病院の松林をゆっくり散策できた。吹上浜は日本有数の砂丘としても有名であるが、周辺には美しい松林が今も続いている。手入れが行き届いているのか、枯れたような樹木はなく、時折松風の音を聞きながらふわふわした落ち葉の上を踏みしめながら歩くのは気持ちがいい。外の寒さも忘れるほどである。薩南病院も昔の結核療養所の名残が残っており、松林などよく整備されている。
 講演の始まる前に控室で、国生さん(旧姓中村)と昔話に花が咲いた。また教育委員長の鮫島さんは私の古里の近くの石垣の出身ということで、ローカルな話で盛り上がった。
 講演の会場は病院の2階の大会議室で、土曜日の午後にもかかわらず7,8十名の看護師が集まってくれていた。「看護師さんは真面目である」と講演の中でも触れたが、真面目さは時代は変わっても一番の徳目である。講演会を担当していた人に「土曜日の午後、大変ですね」と声をかけると、「講演を聞けて役得だと思っています」と答えていたが、まさに「真面目」だと思う。
 講演と質疑応答で2時間が用意されていたが、質問も多くて楽しく終えることができた。帰りは来た道をそのまま引き返したわけだが、県道22号線と合流するところで渋滞していた。