Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

北国紀行(4)(2018/02/06) 

その後、再びバスに乗り、中尊寺で降りて、表参道月見坂を登っていく。参道の雪はわずかで、滑らないようにと路上には敷きものの配慮がなされている。途中の東物見台から眼下を眺めると、肥沃な大地に北上川がとうとうと流れており、藤原三代の栄華の経済的基盤がそこにあったことがよくわかる。物見台には「ききもせず 束稲(たばしね)やまのさくら花 よし野のほかに かかるべしとは」という西行の碑がある。康治2年に(1143年)西行(26歳)の時に、初めて奥州を旅した時に詠んだ歌だという。
   参道にはいくつもの寺塔があるが、やはり本堂が有名である。山門をくぐると、大きな松の木があり、それを無数の竹で支えている姿は兼六園などでよく見られる形である。参拝するとき、うかつに神社の参拝様式をしてしまい、一人恥ずかしかった。畳敷きの内部に上がってみた。本尊は阿弥陀如来で、本尊の両脇にある灯籠は「不滅の法灯」といわれ、宗祖伝教大師最澄が点して以来消えたことがないという。
   本堂から少し登ったところに金色堂はある。国宝に指定されている阿弥陀堂で、藤原清衡によって建立され、1124年(天治元年)に完成したという。現在の金色堂は1970年に建造されたコンクリート造りの覆堂(おおいどう)で守られ、ガラスケースの中に納められている。堂内外の全面に金箔を張り、柱や須弥壇には蒔絵、螺鈿、彫金をふんだんに使った華麗な装飾がほどこされている。
   観光シーズンには賑わうのだろうが、贅沢にも私は独り占めしながらゆっくりと鑑賞できた。
   帰りは急ぎ足で降りたが、12時36分発の花巻駅行には2,3分の差で間に合わなかった。この時間帯は東北本線と言っても、一時間に一本しか運行していない。そこで駅前の芭蕉館でそばを食べることにした。わんこそばを食べている客もいたが、一人ではその気になれずに、熱燗の酒を一合飲みながら山菜そばを注文した。
   14時前の普通列車に乗り、花巻駅で降りて、すぐに釜石線で新花巻駅に向かった。駅前でタクシーに乗り、小高い山の上にある宮沢賢治記念館に向かった。宮沢賢治童話村、花巻市博物館、花巻新渡戸記念館との共通入館券もあったが、時間がなかったので記念館だけにした。季節はずれなのか、ここでも入館者は私一人である。
   館内を観終わって驚くのは、多彩なジャンルに及ぶ宮沢賢治の世界である。当時の時代背景と並行しながらその足跡を辿ることができるが、化学、芸術、宗教、宇宙、農業と実に多彩な分野への興味と造詣の深さに驚かされる。あの南方熊楠と同じような、日本の生んだ稀なる博物学者と位置付けられるのではないだろうか。
   売店で、孫たちに2冊の童話を、そして「屋根の上が好きな兄と私」(宮沢賢治妹・岩田シゲ回想録)を買う。シゲはトシの妹で、1901年に生まれて1987年に亡くなっている。この回想録は、シゲの夫の豊蔵の「33回忌」に近親者に配られたものである。
   妹の回想に依る賢治の幼少時代、父との相克などが書かれている。・・・兄はよく叱られました。ほんとに箸の上げ下げしにも父に叱られる種は切れませんでした。・・・この時代の常として父親の長男への期待の裏返しとして、父は賢治を厳しく育てたものと理解できる。