Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

北国紀行(3)(2018/02/05) 

  賢治は「ニモマケズ」で有名であるが、その思想は日本人にあまり理解されてこなかった。ところが3:11の大震災後、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という賢治の理想が、次第に重い言葉として見直されつつある。
 賢治の父政次郎は、熱心な仏教徒で、勤倹、節約な商業者として、浮華放縦を嫌い、身を慎み事を信条とした人物でした。賢治が農学校の教員になり、羅須地人協会活動に入って折々注目されるようになった時にも、厳しく対しましたが、没後に賢治の存在がさまざまな関心や賞賛が向けられるようになってからも、身内の者が賢治のことを担ぎ廻るようであってはいけないと、きつく戒めていました(栗原敦)。
 次第に少なくなってきた、昔の日本人らしい気骨のある父親で、このような事情もあって賢治の評価が遅れた一因かもしれないと思うことである。
 今回、花巻の記念館を訪れる前に、平泉にある中尊寺も訪ねたいと思った。「雪に覆われた金色堂も悪くないな」と思ったのである。明日、訪問しようと考えていた五十嵐先生(仙台市で歯科クリニックを開業)からは、「ほっぺと耳がキンキン・カンカンに冷たくなり、私はそこが北国の醍醐味と…思ってます」というメールも頂いていた。私も30数年前にミネソタに留学していたときには、極寒の冬(マイナス20度の日が3か月ほど続く)を経験していたが、「のど元過ぎれば熱さ(寒さかな)忘れる」で、どのくらいのものか想像できないでいた。そこでとりあえず、寒さ対策のためにユニクロでヒートテックの下着から手袋まで買いそろえ、寒さ対策には万全を期して臨んだのである。
 ところが今回の旅行中、風の又三郎ならぬ私が、嶋森流の表現では「先生が温かさを連れてきて、連れて帰ったような感じがします」と穏やかな天気で、雪も降らず寒さを一つも感じなかった。
 さて、一関駅で東北本線に乗り換えて10時28分に平泉駅に着いた。駅前のロータリーから出発する巡回バス「るんるん」で、まず毛越寺に向かった。車内は韓国人ツアー客で満員、埼玉から来られたという日本人夫妻は「雪の中尊寺を見たかったんですが・・・」と残念そうである。雪は降っておらず、快晴の青空で、路上の雪は解けてシャーベット状になっている。
 まず毛越寺(もうつうじ)で降りて、滑らないように気を付けながら山門に向かった。松尾芭蕉の「夏草や 兵どもが 夢の跡」という有名な句碑も建てられている。このお寺は850年に、比叡山延暦寺の高僧慈覚大師円仁によって開かれたのだという。そして12世紀になり、奥州藤原氏3代によって発展を遂げたものである。初代清衡公は大規模な堂塔造影の趣旨を「11世紀後半に東北地方で続いた戦乱(前九年・後三年の役)で亡くなった生きとし生けるものの霊を敵味方の別なく慰め「みちのく」といわれ辺境とされた東北地方に、仏国土を建設する」という意味が込められていた。
 浄土庭園の「大泉が池」が有名であるが、湖面は一面雪に覆われている。池の周りを歩いたが、雪解けで路面はびしゃびしゃで、気を付けないと頭には松の葉から雪が落ちてくる。NHKの「ぶらたもり」でこの辺りの地形を詳しく説明していたことを思い出しながら歩いた。