Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

北国紀行(2)(2018/02/02) 

昨夜の天気が嘘のような快晴の朝で、ユニクロで買ってきたヒートテックの下着も不要のような暖かい朝である。赤坂見附駅から丸の内線で東京駅に、みどりの窓口で切符を買って「はやぶさ101号」盛岡行きに乗り込んだ。「はやぶさ」という列車名、国鉄時代に鹿児島と東京を結んでいた懐かしい特急寝台列車名である。当時、集団就職の中学生が西鹿児島駅で別れを惜しんだあの「はやぶさ」である。その名前が、東北新幹線の列車名になっていることに時代の変遷を感じる。
 7時56分に出発したこの新幹線は途中で上野、大宮に停車して、次は仙台駅となっている。大宮を過ぎてしばらくすると、車窓から眺められる山肌は冠雪しており、雪国に向かっていることを実感しちょっとワクワクした気分になった。
 新幹線の車内で、少し落ち着いたところで朝日新聞を広げ、「天声人語」に目をやると次のような書き出しである。
 死の床で妹がせがむ。「あめゆじゅ とてちてけんじゃ」雨雪(みぞれ)取って来て。兄は雪を椀に取って与える。宮沢賢治の詩「永訣の朝」である。妹は「おらおらで ひとりいぐも」。私は私でひとり逝くから・・・
 さて賢治は5人兄弟の長男で、すぐ下のトシを殊の外可愛がっていた。凄い才女で日本女子大学卒業後、母校の花巻高等女学校で教鞭をとっていたが、肺炎のために24歳という若さで亡くなった。
 トシの亡くなる時の様子は次のように書かれている。
 「あっちへいくとおらぁ死ぬんちゃ。寒くて暗くていやな家だもな。」とつぶやいた。賢治もトシとともに本宅に戻り、トシの病室にやってきては南無妙法蓮華経をとなえた。  宮沢家の宗教は浄土真宗であるが、賢治は日蓮宗を信じて国柱会に入会していた。家ではトシだけが賢治と同じ信仰をもっていた。
 11月27日、朝からみぞれがふっていた。トシは賢治に頼んでとってきてもらったみぞれを食べ、さっぱりしたと喜ぶ。その夜、いよいよ最期という時、父、母、弟、妹が見守り賢治が耳元で南無妙法蓮華教を叫ぶ中、トシは逝った。賢治は押し入れに頭をつっこんでおうおう声をあげて泣いた。そして、膝にトシの頭をのせるとその乱れもつれた黒髪をゴシゴシと火箸ですいてやった・・・なんとも悲しい最期である。
 切なくも忘れがたい一節を題に掲げた小説「おらおらでひとりいぐも」が芥川賞に輝いた。作者若竹千佐子さんは賢治と同じ岩手県出身。豊穣な東北言葉を駆使し、孤独を生きる女性を描いた。・・・とある。前日に発表のあった芥川賞受賞者の紹介記事である。また直木賞は門井慶喜さんの小説「銀河鉄道の父」で、「夢を追い、短い生涯を駆け抜けた賢治と、父でありすぎた父政次郎の交流を描いている」。
 なんと、私が今日これから訪れようとしているのが「宮沢賢治記念館」なのである。