Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

「お相撲」の話(後)(2018/03/16) 

1月場所はたまたま栃ノ心が優勝しました。彼は2013年の名古屋場所で右膝靱帯(じんたい)を断裂し、手術を受けて2カ月入院。翌場所から3場所全休し、幕下まで番付を下げた力士ですので立派と言うより他ありません。整形外科医の立場からも、靭帯の手術でここまで回復し、優勝できるのですから、今後も手術に踏み切る力士が増えるかも知れませんね。稀勢の里についていえば、大胸筋の断裂はもう問題ないかと思います。ただこの時の診断には相当時間がかかりましたね。実は大阪には稀勢の里の体が入れる大きさのMRIがなくて、東京で検査を受けることになりました。ところが閉所恐怖症ということでさんざん苦労して検査ができたので、診断に時間を要したという次第です。今後のことは何とも言えませんが、足腰がだいぶ弱っています。メンタル面の問題もありますので、活躍できるかは未知数ですが難しいのではないでしょうか。
 講談は一時間余りとなり、楽しかったが、ちょっと長かったかなあという印象。
 隣のテーブルは西尾教授だったので、「滋賀県出身の相撲取り、誰かいましたっけ」と聞いてみた。
 「蔵間と三杉里がいます。蔵間は柔道部の出身で、タレントとしても活躍しました。三杉里は甲賀市の出身で、私の古里の近くです。実はお兄さんとは友だちで、家に遊びに行った時、体の大きな小学生がいてのでよく覚えているんですが、それがのちの三杉里だと聞いてビックリしました。鹿児島はたくさんの力士がいますよね」。次は私がうん蓄を披露する番である。
 「鹿児島県は全国で5番目の力士数ですが、上位で活躍している人は現役力士では少なくなりました。まずは朝潮太郎です。奄美の出身で横綱までなり、あの黒々とした胸毛は印象的です。でも負ける時はあっけなかった。大関まで昇進したのは霧島、若島津です。霧島は小柄で地味な相撲取りでしたが、四つになると力を発揮しました。若島津は高田みずえの旦那さんですが、不幸にも自転車で転倒して、外傷性硬膜下血腫で理事を引退してしまいました。関脇で活躍したのはさきほどの鶴ヶ嶺とその息子の逆鉾と寺尾です。
 個人的に印象に残っているのは錦洋です。井筒部屋のホープとして期待されたのですが、糖尿病が悪化して引退しました。郷里の鹿屋に帰って、持病の糖尿病の合併症から肝臓病も併発し、人工透析を余儀なくされたんです。網膜症で失明、頑張って鹿児島県立盲学校へ進学し、相撲部を作って指導したり、地域の学校に土俵をつくるなどをして地域社会に貢献していました。針灸師の資格を取得し、高等部を卒業して専攻科に進学し、実家の近くの病院で理学療法士として勤務していました。その後、糖尿病性壊死で右膝下を切断。障害を抱えながら勤務を続けていましたが、脳出血のために59歳の若さで亡くなりました」。
 開始が遅かったこともあって、閉会は10時前になった。早起きの私にとってはちょっと辛い時間。