「お相撲」の話(中)(2018/03/15)
(この後は、当日の話とネットからの資料を交えて)
横審の仕事は、横綱の推薦とこれは滅多にないことですが引退の勧告です。「報酬をたくさんもらわれんでしょう」と言う人がおりますが、全くの無給なんです。定例会は何の議題がなくても毎場所千秋楽の翌日の月曜日に開かれます。会が終われば高級料亭での食事です。その他には年3回の東京場所の10日ぐらい前に「横綱審議委員会稽古総見」、東京場所中に1日だけマス席に御招待されます。
私はもともと相撲がそれほど好きではありませんでした。その後、医者になり、これも「人生の巡り合わせ」で整形外科の教授になってしまいました。教授になりたての頃は相撲よりゴルフの方が好きでした。中嶋常幸プロをはじめ何人ものプロゴルファーの主治医を務めたりもしました。
平成17年夏ごろに、私が千葉大学医学部教授であるということでご紹介いただいた歌舞伎役者、澤村田之助さんを外来で治療中に、「横審になりませんか?無報酬ですが・・・」、と言われ「もし選んで頂ければ喜んで」と答えました。田之助さんは当時既に横綱審議委員で人間国宝でした。彼が北の湖理事長に御推薦下さり、横審にさせていただきました。確かに無報酬で、日当も無く、交通費も出ませんでした。
横審の委員は新聞社の社長や政治家、大学教授、医師、芸術家といった社会的地位、知名度のある人たちですが、初代委員長には1950年4月に権威付けもあり元伯爵・貴族院議員酒井忠正氏が就任しました。私は33人目の委員でした。今まで医者で横審になったのは東京大学医学部内科教授だった上田英雄先生(第5代委員長)だけで私が2人目でした。
その後、横審での思い出や自分が委員長だった時に稀勢の里を横綱に推薦した時の裏話も披露した。
私の横審任期(10年間)は平成29年1月で終わりました。最後の場所でまさかの稀勢の里優勝がありました。ご存知のように相撲人気は最高になり、それでも横綱推薦内規がありましたので、1月場所の1つ前の九州場所では鶴竜14勝1敗で優勝、稀勢の里の12勝3敗を協会は準優勝とは言わず次点と表現しました。次点は準優勝ではなく内規上は多少無理があったのですが、横綱に推挙しました。でも稀勢の里の活躍は次の3月場所まででした。その後は全く振るわず、私としても大変困惑しています。
しかも平成17年10月末には日馬富士殴打事件が発生してしまいました。その結果、11月、12月はTVに引っ張り出され、10回ぐらいTVに出ました。それでも20件以上お断りしました。私がワイドショウに出て多くの友人・知人がうれしく思ったと後で聞きました。12月の頃合いを見て友人、知人も一通りTVでお会いしたと思い、もうTVに出ないと決めました。TVの関係者はちょっと傲慢ですね。出演料も安いですし、いかにも「出してやっている」という感じです。
横審の仕事は、横綱の推薦とこれは滅多にないことですが引退の勧告です。「報酬をたくさんもらわれんでしょう」と言う人がおりますが、全くの無給なんです。定例会は何の議題がなくても毎場所千秋楽の翌日の月曜日に開かれます。会が終われば高級料亭での食事です。その他には年3回の東京場所の10日ぐらい前に「横綱審議委員会稽古総見」、東京場所中に1日だけマス席に御招待されます。
私はもともと相撲がそれほど好きではありませんでした。その後、医者になり、これも「人生の巡り合わせ」で整形外科の教授になってしまいました。教授になりたての頃は相撲よりゴルフの方が好きでした。中嶋常幸プロをはじめ何人ものプロゴルファーの主治医を務めたりもしました。
平成17年夏ごろに、私が千葉大学医学部教授であるということでご紹介いただいた歌舞伎役者、澤村田之助さんを外来で治療中に、「横審になりませんか?無報酬ですが・・・」、と言われ「もし選んで頂ければ喜んで」と答えました。田之助さんは当時既に横綱審議委員で人間国宝でした。彼が北の湖理事長に御推薦下さり、横審にさせていただきました。確かに無報酬で、日当も無く、交通費も出ませんでした。
横審の委員は新聞社の社長や政治家、大学教授、医師、芸術家といった社会的地位、知名度のある人たちですが、初代委員長には1950年4月に権威付けもあり元伯爵・貴族院議員酒井忠正氏が就任しました。私は33人目の委員でした。今まで医者で横審になったのは東京大学医学部内科教授だった上田英雄先生(第5代委員長)だけで私が2人目でした。
その後、横審での思い出や自分が委員長だった時に稀勢の里を横綱に推薦した時の裏話も披露した。
私の横審任期(10年間)は平成29年1月で終わりました。最後の場所でまさかの稀勢の里優勝がありました。ご存知のように相撲人気は最高になり、それでも横綱推薦内規がありましたので、1月場所の1つ前の九州場所では鶴竜14勝1敗で優勝、稀勢の里の12勝3敗を協会は準優勝とは言わず次点と表現しました。次点は準優勝ではなく内規上は多少無理があったのですが、横綱に推挙しました。でも稀勢の里の活躍は次の3月場所まででした。その後は全く振るわず、私としても大変困惑しています。
しかも平成17年10月末には日馬富士殴打事件が発生してしまいました。その結果、11月、12月はTVに引っ張り出され、10回ぐらいTVに出ました。それでも20件以上お断りしました。私がワイドショウに出て多くの友人・知人がうれしく思ったと後で聞きました。12月の頃合いを見て友人、知人も一通りTVでお会いしたと思い、もうTVに出ないと決めました。TVの関係者はちょっと傲慢ですね。出演料も安いですし、いかにも「出してやっている」という感じです。
