日本内科学会講演会(2)(2018/04/24)
飛行機は天気がよかったので、ほとんど揺れることもなく伊丹空港に着陸、そのまま京都行きのリムジンバスに、ほとんど待つこともなく乗ることができた。ほぼ50分で京都駅前に、学会場行きのシャトルバスには長い時間待ったあげくに乗り込むことができた。
会場までの道のりは、道路が混んでいて相当な時間を要した。舗道も車道も、京都は観光客の増加で慢性的な混雑状態にあるようである。舗道を歩いてみると、まさに人種の博覧会のようにも思えてくる。まるで上海の街中を歩いているようだが、最近は鹿児島の天文館でも至る所で中国語が飛び交っている時代である。
それでも京都はやはり、日本の古都として魅力的な街であることに変わりはない。街中を歩くと、至る所に歴史上有名なお寺や名所に出会うことができる。
シャトルバスを降りて、学会場の受付はカードを持参していたこともあり、内科学会認定医登録をスムースに終えることができた。それにしても学会とは名ばかりで、実態は認定医資格の取得のための点数稼ぎのようなものに変質している。
学会場を後にして、3時頃、今夜の宿泊予定の京都駅前のAPAホテルに荷物を預けて、近くの西本願寺と東本願寺に行くことにした。さほど熱心ではないが、浄土真宗の門徒である。まず西本願寺に向かったが、この日は春の法要の初日ということで、御影堂の中では恵信尼公七百五十回忌法要が執り行われていた。大きな講堂の中は立錐の余地もないほどの人で溢れており、声をそろえて正信偈念仏が唱えられていた。私も出口のところに座って聞いていたが、怒濤のような大きな声のうねりに圧倒されながらも、少し高揚した気分になってくる。
ここでちょっとほほえましい光景を目にした。私の斜め横に、いかにも遠い山奥からこの日のために出て来られたような老夫婦がやっとたどり着いた風に思えた。白髪の坊主刈りの爺さんと、足が悪く表情に乏しい婆さんである。爺さんが懸命に婆さんの足を伸ばして畳の上に座らせようとするが、思うようにバランスが取れない。その様子を見ていたのか、黒い制服を着た本願寺の職員と思われる女性が二人、そっと椅子を持ってきて座らせてくれた。爺さんは何度も頭を下げていたが、婆さんは何事もなかったかのように目を閉じて念仏を唱えていた。島倉千代子の「東京だよ おっかさん」を思い出した。
私は法要の半ばで中座して、渡り廊下を通って阿弥陀堂に向かった。外人さんが数人、参拝されていた。西本願寺の門を出て、10分ほどで東本願寺に着いた。狭い通りには、仏具店や宿泊所が軒を連ねている。東本願寺の御影堂も阿弥陀堂もほぼその構えは似たような壮大な造りであるが、東本願寺の方が少し小振りに見える。ところが境内内は前の道路に観光バスの駐車場があるためか、外人さんなどで賑わっている。外壁には「生きれた意義と生きる喜びを見つけよう」と、大きな文字で書かれていた。
会場までの道のりは、道路が混んでいて相当な時間を要した。舗道も車道も、京都は観光客の増加で慢性的な混雑状態にあるようである。舗道を歩いてみると、まさに人種の博覧会のようにも思えてくる。まるで上海の街中を歩いているようだが、最近は鹿児島の天文館でも至る所で中国語が飛び交っている時代である。
それでも京都はやはり、日本の古都として魅力的な街であることに変わりはない。街中を歩くと、至る所に歴史上有名なお寺や名所に出会うことができる。
シャトルバスを降りて、学会場の受付はカードを持参していたこともあり、内科学会認定医登録をスムースに終えることができた。それにしても学会とは名ばかりで、実態は認定医資格の取得のための点数稼ぎのようなものに変質している。
学会場を後にして、3時頃、今夜の宿泊予定の京都駅前のAPAホテルに荷物を預けて、近くの西本願寺と東本願寺に行くことにした。さほど熱心ではないが、浄土真宗の門徒である。まず西本願寺に向かったが、この日は春の法要の初日ということで、御影堂の中では恵信尼公七百五十回忌法要が執り行われていた。大きな講堂の中は立錐の余地もないほどの人で溢れており、声をそろえて正信偈念仏が唱えられていた。私も出口のところに座って聞いていたが、怒濤のような大きな声のうねりに圧倒されながらも、少し高揚した気分になってくる。
ここでちょっとほほえましい光景を目にした。私の斜め横に、いかにも遠い山奥からこの日のために出て来られたような老夫婦がやっとたどり着いた風に思えた。白髪の坊主刈りの爺さんと、足が悪く表情に乏しい婆さんである。爺さんが懸命に婆さんの足を伸ばして畳の上に座らせようとするが、思うようにバランスが取れない。その様子を見ていたのか、黒い制服を着た本願寺の職員と思われる女性が二人、そっと椅子を持ってきて座らせてくれた。爺さんは何度も頭を下げていたが、婆さんは何事もなかったかのように目を閉じて念仏を唱えていた。島倉千代子の「東京だよ おっかさん」を思い出した。
私は法要の半ばで中座して、渡り廊下を通って阿弥陀堂に向かった。外人さんが数人、参拝されていた。西本願寺の門を出て、10分ほどで東本願寺に着いた。狭い通りには、仏具店や宿泊所が軒を連ねている。東本願寺の御影堂も阿弥陀堂もほぼその構えは似たような壮大な造りであるが、東本願寺の方が少し小振りに見える。ところが境内内は前の道路に観光バスの駐車場があるためか、外人さんなどで賑わっている。外壁には「生きれた意義と生きる喜びを見つけよう」と、大きな文字で書かれていた。
