退官記念式典(前)(2018/04/04)
この記念式典、時間も長く破天荒で、贅を尽くした退官記念式典だったといえる。
その「華」は何といっても「ノーベル生理学・医学賞受賞の大村智先生」の特別講演だった。この講演、いままで日経の「私の履歴書」などで研究や信条の大まかな概要は知っていたが、直接ご本人から生の声で聴くのは初めてであり、「なるほど、頑張っていたらいつか報われるのだな」と思わせてくれる講演だった。
3月24日、城山観光ホテルで「小宮節郎教授退官記念式典」が挙行された。平成12年に整形外科教室の教授に就任されているので、足かけ18年にもわたる期間だったことになる。
そのプログラムは16時からの特別講演、ウエルカムドリンク(この時間に一時間近くもとってあったのは、講演会と祝賀会が同じエメラルドホールで挙行されたので設営時間に時間がかかったからだと思われる)、記念撮影(3回に分けて)、19時からようやく退官記念パーティーの段取りになっていた。このパーティーでは津軽三味線の演奏、4人の来賓の先生方の祝辞などがあったが、ここでは割愛する(白状すると、ホテルの巡回バスの関係もあり、この調子で続いたら22時過ぎになるだろうと思われたので、私はこそっと21時前に退出させてもらった)。
さて大村先生の講演、80分の時間がとられていたが、82歳という高齢にもかかわらず矍鑠とされており年齢を感じさせないものがあった。小柄で、自ら利休帽と称している黒の帽子をかぶって登壇された。内容は日経新聞に連載された「私の履歴書」に沿ったようなもので、タイトルも「私の半生と社会貢献」というものである。
山梨県の山村に生まれ、その時々、真面目に一生懸命に努力された成果がノーベル賞授与という栄誉につながった半生の物語である。当日、引き出物の中に同封されていた「ストックホルムへの廻り道」(日経新聞社刊)も参考にしながら、講演の要旨を紹介したい。
まず、山梨県北巨摩群神山村(現在は韮崎市、韮崎高校はサッカーの中田英寿で有名)に、農家の長男として生まれ育ったこと、父は村長さんのような役割(2度村長選で落選されたとか)で、母は学校の先生だったという。大岡信の「眺望は人を養う」という言葉を引用されながら、盆地の向こうに冠雪した八ヶ岳や富士山のパノラマ的な写真を示された。私も講演のスライドに、茶畑の中の故郷の小学校から眺められる開聞岳の風景を紹介することが多いが、歳を重ねるにつれて故郷への思いは強くなるもののようである。
父母が忙しかったということもあって、祖母に小さいころは育てられた。フランスの思想家、「ジャン・ジャック・ルソー」が子育てについて言及した言葉「子供を不幸にする一番確実な方法は、子供が欲しがるものを何でも与えてやること」という文を引用された。先生の育った時代、戦中戦後と、時代的に日本中が貧しかったこともあって、自分で工夫しなければ何も手に入らなかったということが、後人生で役だったという。確かに現在はモノがあふれており、子供たちも欲しいものを手にした時に感動は少ないのかも知れない。でも我が身を振り返ると、分っていながら孫には何でも買ってあげる困ったお爺ちゃんである。
その「華」は何といっても「ノーベル生理学・医学賞受賞の大村智先生」の特別講演だった。この講演、いままで日経の「私の履歴書」などで研究や信条の大まかな概要は知っていたが、直接ご本人から生の声で聴くのは初めてであり、「なるほど、頑張っていたらいつか報われるのだな」と思わせてくれる講演だった。
3月24日、城山観光ホテルで「小宮節郎教授退官記念式典」が挙行された。平成12年に整形外科教室の教授に就任されているので、足かけ18年にもわたる期間だったことになる。
そのプログラムは16時からの特別講演、ウエルカムドリンク(この時間に一時間近くもとってあったのは、講演会と祝賀会が同じエメラルドホールで挙行されたので設営時間に時間がかかったからだと思われる)、記念撮影(3回に分けて)、19時からようやく退官記念パーティーの段取りになっていた。このパーティーでは津軽三味線の演奏、4人の来賓の先生方の祝辞などがあったが、ここでは割愛する(白状すると、ホテルの巡回バスの関係もあり、この調子で続いたら22時過ぎになるだろうと思われたので、私はこそっと21時前に退出させてもらった)。
さて大村先生の講演、80分の時間がとられていたが、82歳という高齢にもかかわらず矍鑠とされており年齢を感じさせないものがあった。小柄で、自ら利休帽と称している黒の帽子をかぶって登壇された。内容は日経新聞に連載された「私の履歴書」に沿ったようなもので、タイトルも「私の半生と社会貢献」というものである。
山梨県の山村に生まれ、その時々、真面目に一生懸命に努力された成果がノーベル賞授与という栄誉につながった半生の物語である。当日、引き出物の中に同封されていた「ストックホルムへの廻り道」(日経新聞社刊)も参考にしながら、講演の要旨を紹介したい。
まず、山梨県北巨摩群神山村(現在は韮崎市、韮崎高校はサッカーの中田英寿で有名)に、農家の長男として生まれ育ったこと、父は村長さんのような役割(2度村長選で落選されたとか)で、母は学校の先生だったという。大岡信の「眺望は人を養う」という言葉を引用されながら、盆地の向こうに冠雪した八ヶ岳や富士山のパノラマ的な写真を示された。私も講演のスライドに、茶畑の中の故郷の小学校から眺められる開聞岳の風景を紹介することが多いが、歳を重ねるにつれて故郷への思いは強くなるもののようである。
父母が忙しかったということもあって、祖母に小さいころは育てられた。フランスの思想家、「ジャン・ジャック・ルソー」が子育てについて言及した言葉「子供を不幸にする一番確実な方法は、子供が欲しがるものを何でも与えてやること」という文を引用された。先生の育った時代、戦中戦後と、時代的に日本中が貧しかったこともあって、自分で工夫しなければ何も手に入らなかったということが、後人生で役だったという。確かに現在はモノがあふれており、子供たちも欲しいものを手にした時に感動は少ないのかも知れない。でも我が身を振り返ると、分っていながら孫には何でも買ってあげる困ったお爺ちゃんである。
