Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

「だっこ」と「おんぶ」(2018/05/16) 

朝、いつものようにその場足踏みをしながらNHKテレビ「おはよう日本」を観ていると、「見直されるおんぶの魅力」について取り上げていた。
   調査をしたところ、200人のうち一人だけが「おんぶ」で、後は全部「だっこ」だったという。昔はおんぶが主流だったわけだが、その理由としてはおんぶの場合、両手が自由になるため農作業などの仕事も同時にできた。ところが最近ではだっこすることが仕事そのものになったり、移動に便利だという理由で「だっこひも」でのだっこになってしまった。そういえば私の孫も4人とも全員「だっこ」で、私もよく泣くあかちゃんだった芽生ちゃんを、だっこひもでだっこしながら鶴丸城のお堀を歩いたものだった。
   この番組では「おんぶ」の魅力を、その赤ちゃんの視線から分析している。だっこの場合、赤ちゃんの見える範囲は限られたものとなり、ほとんどがだっこしている母親の胸や首筋だけとなる。ところがおんぶになると視界が広がり、外界のいろいろな動きを観ることが可能となり、頭の活性化にもつながると分析している。
   この話題から、車の中で聴いていた山折哲雄の講話集を思い出した。さすがに山折氏、教育の問題と関連させて考察している。
   だっこの場合、子供がふっと顔を上げると母親の顔がある。いつでも母親の顔を見ることになるし、一方母親も子供の顔を見る。一方、おんぶの場合は汗がにじみ、乱れ髪がかかった母親の首筋を見る。そこには労働の匂いがある。そして街並みを見ることもできる。見上げると空と美しい山なみも見える。おんぶされている子どもは働いている母親を、世間を、社会を、そして自然を見ることができる。だっこされた子供は母親の顔しか見れないので、母親と子供は自閉的な関係になる。
   単純に「便利だ、安全だ」というだけの問題から、子育ての根本を考えることにもつながりそうである。