ALS協会支部総会(4)(2018/06/15)
その後、しばらくの休憩をはさんで、里中さん自らが司会をして患者・家族交流会となった。いつものように保健師の紹介の後、患者家族の北吉さん、伊瀬知さん、樋渡さん、藤岡さん、高江さん、城ケ峰さんなど、ご本人や家族、遺族が一言ずつ発言される。北吉さんの奥さんは47歳で発病して18年を迎える。「主人の介護より4人の孫の世話が大変」と笑わせていた。伊瀬知さんは昨年、最も身近で世話をしてくれていた長女さんを亡くされた。それにもめげずに、支部長挨拶を伝の心で行った。樋渡さんは在宅療養で4年目を迎えるということ、日中は週5日施設で、朝夕は家族で過ごすということだった。藤岡さんは徳之島での療養3年目、フェイスブックで情報を得ており、今回の重度介護の事業に期待を寄せているということだった。高江さんは息子さんが出席されていたが、今日で49日を迎えるということ、在宅を始めたが共倒れになりそうで、最期は施設にお願いした。「今思えばああすればよかった」との思いはあるが、地域の人に支えられた。今後も協会の仕事を遺族として支援していきたいと結ばれた。城ケ峰さんは奥さんと一緒に出席されていたが、在宅での生活が5年を過ぎたという。私が南九州病院でかかわった最後の患者さんだったかと思う。医療センターで喉頭気管分離手術を受けて、2週間で退院を迫られて、地元の医師会病院で一月ほど入院して在宅に移っている。まだ不安を抱えたままだということだったが、本人は終始笑顔だった。
そして奄美で在宅医療などと取り組んでおられる後輩の徳田先生の奥さん、今村保健師、福岡市でALS患者の施設を造りたいという右田さん。
16時過ぎに終わって、みんなで集合写真を撮っておしまいである。
19時から中央駅近くの「極」で打ち上げをするということで、里中さんが家の前でピックアップしてくれるという。私は信号で待っていたら、二人の自転車に乗った若者(外人)から、「宣教師を知っていますか」などと話しかけられた。向うから手を出すので思わず握手したら(その部分を、車の中から里中夫妻などが見ていたようで)、宴会の時に「先生はいやに親しげでしたね。あれ、モルモン教の人たちですよ」と、「笑いものに」されてしまった。
宴会には支部総会にも出席していた20人近くが集まったが、いつものように和気あいあいと楽しい語りの場となった。私の右隣は前支部長の安田さんの息子さんで、銀行から建設会社に転職されたという。「南風病院が新本館を建設する、という新聞記事読みましたよ」と言われたが、世の中のこと、どこでつながっているかわからない。
そして左隣の朝尾さんは、熊本出身であるが、鹿児島大学の保健学部を卒業した後、奄美大島の宇検村で保健師として働いている。昨年、名瀬市の難病検討会でも、宇検村で暮らしているALS患者の事例報告をしてもらったことがあった。
21時過ぎに宴会はお開きとなったが、私にとってはこれで6日連続の「過酷な宴会シリーズ」の終了となった。
そして奄美で在宅医療などと取り組んでおられる後輩の徳田先生の奥さん、今村保健師、福岡市でALS患者の施設を造りたいという右田さん。
16時過ぎに終わって、みんなで集合写真を撮っておしまいである。
19時から中央駅近くの「極」で打ち上げをするということで、里中さんが家の前でピックアップしてくれるという。私は信号で待っていたら、二人の自転車に乗った若者(外人)から、「宣教師を知っていますか」などと話しかけられた。向うから手を出すので思わず握手したら(その部分を、車の中から里中夫妻などが見ていたようで)、宴会の時に「先生はいやに親しげでしたね。あれ、モルモン教の人たちですよ」と、「笑いものに」されてしまった。
宴会には支部総会にも出席していた20人近くが集まったが、いつものように和気あいあいと楽しい語りの場となった。私の右隣は前支部長の安田さんの息子さんで、銀行から建設会社に転職されたという。「南風病院が新本館を建設する、という新聞記事読みましたよ」と言われたが、世の中のこと、どこでつながっているかわからない。
そして左隣の朝尾さんは、熊本出身であるが、鹿児島大学の保健学部を卒業した後、奄美大島の宇検村で保健師として働いている。昨年、名瀬市の難病検討会でも、宇検村で暮らしているALS患者の事例報告をしてもらったことがあった。
21時過ぎに宴会はお開きとなったが、私にとってはこれで6日連続の「過酷な宴会シリーズ」の終了となった。
