ALS協会支部総会(1)(2018/06/12)
6月3日の午前中に「NPO(特定非営利活動)法人かごしまサポートセンター」の発会式、そして午後からは筋ジス協会鹿児島県支部総会(平成14年の立ち上げなので、今年で15年目になるという)が加治木町の南九州病院で開催されることとなった。
朝、8時半ごろに南風病院を出発して、かって30年間も通勤路として使っていた10号線を通り、9時過ぎには南九州病院に着くことができた。沿線の樹木も5年もすると成長するのか、姶良バイパス道路の両脇の銀杏の新緑が迫ってきそうである。南九州病院の玄関の前庭は重心病棟が取り壊されて、広々とした駐車場となっている。
早速、懐かしい筋ジス病棟へと向かう。6病棟では、53歳になった和行と久しぶりの再会である。いつものように「まだ、生きちょったかね。これじゃ俺より長く生きそうだがね」で始まって近況の報告である。彼とは45年ほどの付き合いになるが、いつも平常心であり笑顔を絶やさない。私の心まで癒してくれる。気管切開をしていないので言葉もわかりやすい。小学校の時に入院当初からデュシャヌ型の筋ジストロフィーと疑わなかったが、その後の経過から考えると私の完全な診断ミスでベッカー型だったことになる。小さいころ、余分な精神的苦しみを与えてしまったのかも知れない。
同じ部屋の松ちゃんや今村にも声をかける。病棟を一回りした後、7病棟に昇る。そこにはまず50歳になった悦子のベッドに行くと、顔色もよく元気そうである。先に見舞いに来ていた桂子さん(お母さんがALSで、同じ部屋で闘病していたので悦子の古い友達である)と入れ替わる。手のひらに指で文字を書いてくれるが、いつものようによく分らない。隣の47歳になった寺崎にも「ついにマグロになったね」と声をかける。「山田や木脇さん、崎田さんなど、みんな懐かしいメンバーばかりである。岡田君の所に行くと、いつものようにお父さんが見舞いに来られていた。川内から毎日夫婦二人で車で通っていたが、お母さんの姿が見えなかった。ちょっと聞きそびれてしまったが、どうされたんだろう。
2階の長い中央廊下を引き返して、応接室に腰を掛ける。壁には第三代院長として私の額縁も飾られている。よくも15年間も院長をしたものである。応接棚の扉を開けると、「病と人の生き方と」という拙著が、20冊を一束にして、まだいくつも置かれている。折角の機会なので当直していた連携室の前田君にも手伝ってもらって、車のトランクまで運んでもらうことにした。
10時半から、大会議室でNPO法人かごしまサポートセンターの発会式である。理事になることになっている私と五反田先生、中俣先生、末吉さんなどが腰を下ろして、設立代表者で理事長のALS協会鹿児島県支部の事務局長の里中さんの設立趣旨に耳を傾ける。自分で考え、足を動かしながら行政などさまざまな団体と交渉し、ここまでに至った経緯なのでよどみなく話される。熱意と使命感が自然に伝わってくる。「どうしてそんなに頑張れるの」と聞いた時、「現状を黙って見過ごす勇気がなかった」と話していたが、まさにその通りだと思う。世の中はこのような人がいて、いい方向に向かえるのである。私も時間の余裕ができたら、少しでもお手伝いができたらと思うことだった。
朝、8時半ごろに南風病院を出発して、かって30年間も通勤路として使っていた10号線を通り、9時過ぎには南九州病院に着くことができた。沿線の樹木も5年もすると成長するのか、姶良バイパス道路の両脇の銀杏の新緑が迫ってきそうである。南九州病院の玄関の前庭は重心病棟が取り壊されて、広々とした駐車場となっている。
早速、懐かしい筋ジス病棟へと向かう。6病棟では、53歳になった和行と久しぶりの再会である。いつものように「まだ、生きちょったかね。これじゃ俺より長く生きそうだがね」で始まって近況の報告である。彼とは45年ほどの付き合いになるが、いつも平常心であり笑顔を絶やさない。私の心まで癒してくれる。気管切開をしていないので言葉もわかりやすい。小学校の時に入院当初からデュシャヌ型の筋ジストロフィーと疑わなかったが、その後の経過から考えると私の完全な診断ミスでベッカー型だったことになる。小さいころ、余分な精神的苦しみを与えてしまったのかも知れない。
同じ部屋の松ちゃんや今村にも声をかける。病棟を一回りした後、7病棟に昇る。そこにはまず50歳になった悦子のベッドに行くと、顔色もよく元気そうである。先に見舞いに来ていた桂子さん(お母さんがALSで、同じ部屋で闘病していたので悦子の古い友達である)と入れ替わる。手のひらに指で文字を書いてくれるが、いつものようによく分らない。隣の47歳になった寺崎にも「ついにマグロになったね」と声をかける。「山田や木脇さん、崎田さんなど、みんな懐かしいメンバーばかりである。岡田君の所に行くと、いつものようにお父さんが見舞いに来られていた。川内から毎日夫婦二人で車で通っていたが、お母さんの姿が見えなかった。ちょっと聞きそびれてしまったが、どうされたんだろう。
2階の長い中央廊下を引き返して、応接室に腰を掛ける。壁には第三代院長として私の額縁も飾られている。よくも15年間も院長をしたものである。応接棚の扉を開けると、「病と人の生き方と」という拙著が、20冊を一束にして、まだいくつも置かれている。折角の機会なので当直していた連携室の前田君にも手伝ってもらって、車のトランクまで運んでもらうことにした。
10時半から、大会議室でNPO法人かごしまサポートセンターの発会式である。理事になることになっている私と五反田先生、中俣先生、末吉さんなどが腰を下ろして、設立代表者で理事長のALS協会鹿児島県支部の事務局長の里中さんの設立趣旨に耳を傾ける。自分で考え、足を動かしながら行政などさまざまな団体と交渉し、ここまでに至った経緯なのでよどみなく話される。熱意と使命感が自然に伝わってくる。「どうしてそんなに頑張れるの」と聞いた時、「現状を黙って見過ごす勇気がなかった」と話していたが、まさにその通りだと思う。世の中はこのような人がいて、いい方向に向かえるのである。私も時間の余裕ができたら、少しでもお手伝いができたらと思うことだった。
