田の神石像・全記録~南九州の民間信仰~(前)(2018/07/19)
突然、郵便小包で書籍が送られてきた。何だろうかと思って開くと、八木幸夫先生の「田の神石像・全記録~南九州の民間信仰~」(南方新社)という本である。ブックカバーにはカラーの田の神石像の写真が何体もちりばめられ、帯には原口泉先生より「田の神像への著者の愛情に心打たれる」と書かれている。478ページの渾身の力作(網羅的資料集)で、先生にこのような能力が潜んでいたとは驚くばかりである。
「田の神石像」は鹿児島では「たのかんさあ」と呼ばれており、田舎の道路沿いや田んぼの畦道などでよく見かけたものだが、都市化が進み道路が整備されるにつれて次第に少なくなってきている。仏像などと違い芸術性に秀でたものではないので、特に目を留める人は少なかったかと思われる。
この本、パラパラとめくってみた瞬間、きっと世の中の大きな話題を呼ぶだろうと思っていたが、案の定、日経新聞の文化欄でも大きく取り上げられていた。
八木先生は霧島市福山町で有床診療所を経営されている内科医で、私が南九州病院で働いている頃は姶良郡医師会の会長職にあった。当時私も理事の一人だったので、よくお会いしていた。また先生のマンションが私の部屋の隣という偶然(数年前に引越しされたが)もあって、親しいというほどではなかったが、折に触れて付き合ってきた。
「発刊にあたって」には先生がどのような経緯で「田の神石像」に興味を持って、このような膨大な写真収集と分類をするようなことになったかが触れられている。
患者さん宅への往診中に、道路脇の畦道にぽつんと可愛らしい石像が立っているのに気づき、一体これは何だろうと思いお年寄りに訊ねたところ、「あれは田の神様(タノカンサー)だよ」と教えてもらったのが7年ほど前のことである。・・・それ以来機会あるごとに、診療の合間を見て土曜日の午後や日曜日を利用しながら、現在も写真を撮り資料作成を続けている・・・
私もビックリしたのは「田の神石像は旧島津藩領の鹿児島県と小林市、えびの市、そして都城市などの宮崎県の一部にしか存在しない」のだという。江戸期より豊作と子孫繁栄を祈願して田の神石像を作って祀っていたのだという。
水田を作っているところには日本中どこにもあるものだと思っていた。ところが田の神石像は風雨や風雪などの自然現象や廃仏毀釈、そして農地整理などで破壊、また移設されているものが多く、また資料集なども盗難防止のために正確な田の神石像の明らかにするものは限られていて、実際に出かけて田の神石像の存在場所にたどり着くのに大変な苦労をされたそうである。
最後に次のように書かれている。
実際に田舎の水田地帯を回っていると、過疎化が思ったより進んでしまっていることに驚く。以前は持ち回りの田の神を祀りながら、盛んに開かれていた田の神講もほとんどなくなり、田の神石像自体も何とかして守って行かないと、少しずつ姿を消しつつあるような気がする。大切な歴史的資料が消えるのは残念である。
「田の神石像」は鹿児島では「たのかんさあ」と呼ばれており、田舎の道路沿いや田んぼの畦道などでよく見かけたものだが、都市化が進み道路が整備されるにつれて次第に少なくなってきている。仏像などと違い芸術性に秀でたものではないので、特に目を留める人は少なかったかと思われる。
この本、パラパラとめくってみた瞬間、きっと世の中の大きな話題を呼ぶだろうと思っていたが、案の定、日経新聞の文化欄でも大きく取り上げられていた。
八木先生は霧島市福山町で有床診療所を経営されている内科医で、私が南九州病院で働いている頃は姶良郡医師会の会長職にあった。当時私も理事の一人だったので、よくお会いしていた。また先生のマンションが私の部屋の隣という偶然(数年前に引越しされたが)もあって、親しいというほどではなかったが、折に触れて付き合ってきた。
「発刊にあたって」には先生がどのような経緯で「田の神石像」に興味を持って、このような膨大な写真収集と分類をするようなことになったかが触れられている。
患者さん宅への往診中に、道路脇の畦道にぽつんと可愛らしい石像が立っているのに気づき、一体これは何だろうと思いお年寄りに訊ねたところ、「あれは田の神様(タノカンサー)だよ」と教えてもらったのが7年ほど前のことである。・・・それ以来機会あるごとに、診療の合間を見て土曜日の午後や日曜日を利用しながら、現在も写真を撮り資料作成を続けている・・・
私もビックリしたのは「田の神石像は旧島津藩領の鹿児島県と小林市、えびの市、そして都城市などの宮崎県の一部にしか存在しない」のだという。江戸期より豊作と子孫繁栄を祈願して田の神石像を作って祀っていたのだという。
水田を作っているところには日本中どこにもあるものだと思っていた。ところが田の神石像は風雨や風雪などの自然現象や廃仏毀釈、そして農地整理などで破壊、また移設されているものが多く、また資料集なども盗難防止のために正確な田の神石像の明らかにするものは限られていて、実際に出かけて田の神石像の存在場所にたどり着くのに大変な苦労をされたそうである。
最後に次のように書かれている。
実際に田舎の水田地帯を回っていると、過疎化が思ったより進んでしまっていることに驚く。以前は持ち回りの田の神を祀りながら、盛んに開かれていた田の神講もほとんどなくなり、田の神石像自体も何とかして守って行かないと、少しずつ姿を消しつつあるような気がする。大切な歴史的資料が消えるのは残念である。
