時空を超えて(後)(2018/08/01)
朝、7時15分ごろ病院を出発し、ナビに従って10号線から姶良、船津を通って、北山診療所には8時15分ごろに着いた。狭い山道が多く、大型の対向車でもきたらどうしようと心配したが、一台もすれ違うことはなかった。ちょっと早く着いたので、診療所の周りを散策した。山道を下ると、真直ぐに伸びた杉林が続いている。枝葉をきれいに伐採された木は、同じ幹の大きさできれいな大木に成長しているのがよく分る。最近、中国や韓国に輸出されるようになったとかで、所々で伐採が進んでいる。30分ほど山の中を歩いたが、その昔、小学校の頃に遊んだ裏山を思い出すことだった。
この診療所は無床診療所で、昭和37年の開設以来、姶良市の北部に位置する過疎・山間地域である北山地区住民の福祉増進のために、国民健康保険直営診療所として、また第2種へき地診療所として医療活動を行っている。しばらくの間は、現在当院で働いておられる毛利先生が所長として、村民の絶大な信頼を勝ち得ておられた(ドクターズマガジンでも紹介されたこともある)。
診療所はまだ新しく、診察室も二つあり、レントゲン室、検査室、相談室など完備している。常勤の医師は不在で、当院、霧島医療センター、青雲会病院の医師と交代で担当しているが、休診日も多い。私が診療した水曜日には3人の看護師と2人の事務職員が勤務していた。
診療は9時に始まり数人の内科診察と熱中症と思しき人の点滴、気管切開しているお婆さんの気管カニューレの交換などを行った。皆さん、80歳を超えている人たちばかりだが、すこぶる元気である。こんな山奥でも南日本新聞を読んでくれている人もおり、「先生のすいもあまいも、いつも楽しく読んでいますよ」とリップサービスをしてくれる人もいた。
11時半ごろに、なたで手の甲を切ったという作業員らしき男性が見えたが、傷が結構深そうだし、青雲会病院と連絡が取れたのでそのまま行ってもらうことにした。
12時から昼食時間となって、「先生、どうなさいます」と言われて、初めて何の準備もしていないことに気づいた。近くに食べる場所もコンビニもない。「蒲生まで弁当を買いに行きましょうか」と看護師が言うので、「それには及ばない」と固辞すると、ありあわせのものを並べてくれた。インスタントラーメンと握り飯、キュウリ、お土産にと思って持ってきたお菓子などで、腹いっぱいになってしまった。
13時半から診療所の車に、私を含めて5人が木津志出張診療所に出かけることとなった。昔の小学校の跡らしく、大きな部屋には表彰状や祭りの踊りの写真、いろいろな行事への寄付をした人と金額が細かに掲示されている。
私は診察室で10人ほどの診察と特定健診を行った。特に問題を抱えた人は少なく、概ね元気なお年寄りである。
廊下の壁に次のような紙が貼ってあった。人生百年と言われるようになった時代、なるほどと思いながら読むことだった。
人生は七十歳より
七十歳にてお迎えあるときは、今 留守と言え
八十歳にてお迎えあるときは、まだまだ早いと言え
九十歳にてお迎えあるときは、そう急がずともよいと言え
百歳にてお迎えあるときは、次期(時期ではないのかな?)を見てこちらから ボツボツ行くと言え
最初に触れたように、小川内さんの奥さんや息子さんにお会いできて、16時過ぎに診療所に帰ることができた。
この診療所は無床診療所で、昭和37年の開設以来、姶良市の北部に位置する過疎・山間地域である北山地区住民の福祉増進のために、国民健康保険直営診療所として、また第2種へき地診療所として医療活動を行っている。しばらくの間は、現在当院で働いておられる毛利先生が所長として、村民の絶大な信頼を勝ち得ておられた(ドクターズマガジンでも紹介されたこともある)。
診療所はまだ新しく、診察室も二つあり、レントゲン室、検査室、相談室など完備している。常勤の医師は不在で、当院、霧島医療センター、青雲会病院の医師と交代で担当しているが、休診日も多い。私が診療した水曜日には3人の看護師と2人の事務職員が勤務していた。
診療は9時に始まり数人の内科診察と熱中症と思しき人の点滴、気管切開しているお婆さんの気管カニューレの交換などを行った。皆さん、80歳を超えている人たちばかりだが、すこぶる元気である。こんな山奥でも南日本新聞を読んでくれている人もおり、「先生のすいもあまいも、いつも楽しく読んでいますよ」とリップサービスをしてくれる人もいた。
11時半ごろに、なたで手の甲を切ったという作業員らしき男性が見えたが、傷が結構深そうだし、青雲会病院と連絡が取れたのでそのまま行ってもらうことにした。
12時から昼食時間となって、「先生、どうなさいます」と言われて、初めて何の準備もしていないことに気づいた。近くに食べる場所もコンビニもない。「蒲生まで弁当を買いに行きましょうか」と看護師が言うので、「それには及ばない」と固辞すると、ありあわせのものを並べてくれた。インスタントラーメンと握り飯、キュウリ、お土産にと思って持ってきたお菓子などで、腹いっぱいになってしまった。
13時半から診療所の車に、私を含めて5人が木津志出張診療所に出かけることとなった。昔の小学校の跡らしく、大きな部屋には表彰状や祭りの踊りの写真、いろいろな行事への寄付をした人と金額が細かに掲示されている。
私は診察室で10人ほどの診察と特定健診を行った。特に問題を抱えた人は少なく、概ね元気なお年寄りである。
廊下の壁に次のような紙が貼ってあった。人生百年と言われるようになった時代、なるほどと思いながら読むことだった。
人生は七十歳より
七十歳にてお迎えあるときは、今 留守と言え
八十歳にてお迎えあるときは、まだまだ早いと言え
九十歳にてお迎えあるときは、そう急がずともよいと言え
百歳にてお迎えあるときは、次期(時期ではないのかな?)を見てこちらから ボツボツ行くと言え
最初に触れたように、小川内さんの奥さんや息子さんにお会いできて、16時過ぎに診療所に帰ることができた。
