Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

それぞれの戦争(前)(2018/09/06) 

2018年8月31日、戦場へと出征していく一馬を家族や会社のみんなで見送るシーン。歌われた曲は懐かしい「蛍の光」である。NHK-BS朝7時15分からの「マッサン」の再放送を、その場足踏みをしながら観ている。
   この曲は昔は卒業式で歌われていた定番で、そうでなくても物悲しい旋律なのに、状況が状況なだけに目頭が熱くなる。そしてどういう訳か、もうずいぶん昔に亡くなった父のことを思い出している。父は昭和18年に召集され出征、終戦後の20年に帰還している。2歳の兄と乳飲み子の姉を残しての出征だったことになり、どのような気持ちで南方の島に向かったのだろうか。私は父によく似ていると言われていたので、父の気持ちがよくわかる。
   私は1947年に終戦から2年経ってから生まれた。幸いにも戦争を知らない世代であり、その間、日本は戦争を一度も経験することなく70余年が過ぎ去った。調べてみると4年近くに及ぶこの戦争で、日本だけでも1,740,955人の戦闘員と393,000人の民間人が亡くなっている。どれほど多くの家族を破壊し、多くの人を不幸に陥れた戦争だったことか。
   朝ドラの世界に戻る。
   愛するエマ、相思相愛の二人ですが一馬は想いを告げません。ウイスキーの樽が眠る倉庫でエマが「抱いて下さい」と・・・そうは言いませんでしたが、一馬を愛してることが切実に伝わってくる。だけど一馬は・・・
 終戦記念日のちょっと前の8月11日、NHKスペシャル「ルソン島“最後”の記録~ある衛生兵が見た戦場~」を観た。「鶴瓶の家族に乾杯」などの番組で司会を務める小野文恵アナウンサー(50)が、先の大戦末期にフィリピン・ルソン決戦で戦死した祖父の足跡をたどるドキュメンタリーである。戦後73年。小野アナが母親や他の遺族とともに実施した現地調査や生還兵の証言などから、ルソン決戦の全貌に迫る番組である。
   小野アナの祖父は陸軍の「病院船衛生第15班」の衛生兵、小野景一郎さん。昭和18年夏、一人娘だった小野アナの母、公子さん(77)が2歳のときに3度目の応召を受け、20年のルソン決戦で戦死した。同年7月で34歳だった。
   公子さんはそれまでも何度か訪比して現地調査を実施してきたほか、手元には景一郎さんが病院船時代に日本の家族に宛てた手紙や18年8月から19年2月まで書いた日記、景一郎さんの戦死公報、衛生班の部隊史などの資料を大切に保管してきた。日記は応召後に一時帰国した際、家族に渡したものだという。
    小野アナはこれらの資料を読み解き、「(戦死公報に)『胸部貫通銃創』とあるが、誰が見たのかも分からないといったことが引っかかりはじめた」という。
   一方、日記や手紙からは「お風呂が好きで、たばこが好きで、将棋が好きで、そして、公子は元気か、いい子に育つだろうかと、そればかり書いている祖父だったことが分かった」。
   遺骨はなく、景一郎さんが戦友に預け、戦後に届けられた、たばこケースが唯一の遺品という。