(故)荒畑喜一先生(後)(2018/10/12)
残された手帳には、彼特有の几帳面な字で、来年の予定や研究スケジュールなどがびっしりと書き込まれていたという。そんなに早く死が訪れようとは、彼自身も予想していなかったのだろう。まさに亡くなる直前まで、ひたすら研究に疾走した人生だったといえる。一日も早い治療法を待ち焦がれている筋ジス患者さんのためにも、もっと思う存分、才能を発揮してほしかった。長年にわたり一緒に仕事をされ、また直接の上司として指導されてこられた杉田先生(精神・神経センター名誉総長)のお話では、「六月に検査の後、転移性肝がんだとわかり、埜中院長がありのままを話した。そうですかと静かに答え、泰然自若としていつもと変わるところは全くなかった。最後のフランスの学会も講演と座長を淡々とやり遂げた」という。
荒畑先生とは都立府中病院時代からだから、二十数年の付き合いになる。特にアメリカ留学(メイヨークリニック)では、三年近く一緒に研究し、喜び、そして苦労もした。お互いの性格から、少し引いた感じで付き合っていたこともあり、一度も不快な思いをしたことはなかった。エンゲル先生も、最もいいコンビだね、とよく話されていた。
帰国後、彼は筋疾患の研究一筋に精進し、私には研究面ではまぶしく遠い存在になっていた。当時の日本の筋ジス研究では、荒畑先生が基礎班を、東埼玉病院の石原先生が臨床班を。そして私がケアシステム班をそれぞれ分担して率いていた。お互いに意の通じる仲だから、一緒に話し合っていい研究チームを作り上げることを楽しみにしていた。
研究者にはとかく変わり者と言われる人が多い中で、彼は人間的にも優れていて、やさしく、いつも笑みを絶やさない文字通りの紳士と言うべき男だった。「スマートに見えたけど、本当はシャイで、はにかみ屋でした」という奥様の言葉そのままだと思う。
亡くなる数日前に、尊敬していたエンゲル先生にパリでお会いでき、また杉田先生と最後の旅行ができたことがせめてもの冥土へのお土産かもしれない。
享年五十四歳、真摯に真理を追い求め、みんなに惜しまれながら旅立たれた一人の研究者に心から冥福を祈りたい。 合唱
平成十二年十二月二十三日
荒畑先生が亡くなられて、いつの間にか18年の歳月が経ってしまった。早逝することなく研究に勤しんでいたら、どのくらいの活躍ができただろうかと、その早すぎる死を残念に思うことである。彼の性格や人となりは「星のように去りぬ」で触れたが、かねての物静かな振る舞いからは想像できない、思いがけない行動を起こすこともあった。
エンゲルラボには私が半年ほど早く留学したが、彼はロチェスターに到着後、大きなアメリカ車を購入した。当時、アメリカ車は故障が多いということが問題になっていた時期だったが、彼の車も購入早々、何度も故障した。販売店にクレームを言ったが埒があかず、彼は紛争処理相談所のような機関に提訴した。まだアメリカ暮らしにも慣れていないし、言葉も流暢と言う訳でもなかったが、「提訴」して彼は法廷のような場所で堂々と持論を展開した。私にも同行してくれと言うことで一緒に行った思い出がある。結果的には相応の判断が下されたように記憶している。
長倉僧侶のよく言われる「あなた往く人、私少し遅れて往く人、共に浄土に歩む人」なのだろう。
荒畑先生とは都立府中病院時代からだから、二十数年の付き合いになる。特にアメリカ留学(メイヨークリニック)では、三年近く一緒に研究し、喜び、そして苦労もした。お互いの性格から、少し引いた感じで付き合っていたこともあり、一度も不快な思いをしたことはなかった。エンゲル先生も、最もいいコンビだね、とよく話されていた。
帰国後、彼は筋疾患の研究一筋に精進し、私には研究面ではまぶしく遠い存在になっていた。当時の日本の筋ジス研究では、荒畑先生が基礎班を、東埼玉病院の石原先生が臨床班を。そして私がケアシステム班をそれぞれ分担して率いていた。お互いに意の通じる仲だから、一緒に話し合っていい研究チームを作り上げることを楽しみにしていた。
研究者にはとかく変わり者と言われる人が多い中で、彼は人間的にも優れていて、やさしく、いつも笑みを絶やさない文字通りの紳士と言うべき男だった。「スマートに見えたけど、本当はシャイで、はにかみ屋でした」という奥様の言葉そのままだと思う。
亡くなる数日前に、尊敬していたエンゲル先生にパリでお会いでき、また杉田先生と最後の旅行ができたことがせめてもの冥土へのお土産かもしれない。
享年五十四歳、真摯に真理を追い求め、みんなに惜しまれながら旅立たれた一人の研究者に心から冥福を祈りたい。 合唱
平成十二年十二月二十三日
荒畑先生が亡くなられて、いつの間にか18年の歳月が経ってしまった。早逝することなく研究に勤しんでいたら、どのくらいの活躍ができただろうかと、その早すぎる死を残念に思うことである。彼の性格や人となりは「星のように去りぬ」で触れたが、かねての物静かな振る舞いからは想像できない、思いがけない行動を起こすこともあった。
エンゲルラボには私が半年ほど早く留学したが、彼はロチェスターに到着後、大きなアメリカ車を購入した。当時、アメリカ車は故障が多いということが問題になっていた時期だったが、彼の車も購入早々、何度も故障した。販売店にクレームを言ったが埒があかず、彼は紛争処理相談所のような機関に提訴した。まだアメリカ暮らしにも慣れていないし、言葉も流暢と言う訳でもなかったが、「提訴」して彼は法廷のような場所で堂々と持論を展開した。私にも同行してくれと言うことで一緒に行った思い出がある。結果的には相応の判断が下されたように記憶している。
長倉僧侶のよく言われる「あなた往く人、私少し遅れて往く人、共に浄土に歩む人」なのだろう。
