(故)荒畑喜一先生(前)(2018/10/11)
「汚職事件を受け、7月に理事長と学長が辞任した東京医科大学で次期学長に病態生理学の林由起子主任教授が選出された。同大で女性が学長に選ばれるのは初めてだという」という記事を読んで、もうずいぶん前に多くの人に惜しまれながら亡くなられた荒畑喜一先生のことを思い出している。林先生は荒畑先生が国立精神・神経センター神経研究所疾病研究第一部長時代の部下であったが、私は直接の面識はない。ちなみに理事長には、国立病院機構時代にお世話になった矢崎義雄先生(当時の機構理事長)が就任されたという。
荒畑先生の略歴をネットで探すと、次のようになっている。
国立精神・神経センター神経研究所疾病研究第一部長。医学博士。昭和46年順天堂大学医学部卒業。米国メイヨークリニック、メイヨー医科大学神経内科研究員、順天堂大学医学部神経学教室講師、ハーバード大学医学部遺伝学教室 Staff Associate を経て、平成4年より現職。世界筋疾患連合(WMS)理事。英国王立医学会会員。米国神経学会会員。専門は神経内科学。特に筋肉病学。現在は筋ジストロフィーの遺伝子解析と病態解明に関心をもつ。
先生が亡くなられたころ、拙著(病む人に学ぶ:日総研2004年)に先生の思い出を書かせてもらったことがあった。
彗星のように去りぬ~畏友の死~
国分寺駅から西武線に乗り換え、鷹の台の駅前でタクシーを拾うという心積もりは見事に外れた。小さな駅で早朝だったこともあってか、タクシーの影形もなく、たまたま行き着いた津田塾大学の守衛さんの言葉を頼りに、玉川上水に沿ったまだ武蔵野の面影の残る雑木林の小道を、二丁目から四丁目へとひたすら歩き続けた。何層にも踏み固められた枯葉の上を歩くうちに、混乱した頭が少しずつ冷静になっていく。おそらく彼も何度もこの道を歩いたのだろうと思いながら、昔のいろいろな出来事が頭の中を駆け巡る。昨夕、QOL研究班出席のため、冷たい霧雨の中をやっとたどり着いた新宿のホテルのフロントで、荒畑喜一先生の突然の訃報を知らされた。呆然とするしかなかった。いまや日本の、いや世界の筋肉病研究者の第一人者であった。風の便りに体調を崩しているという話を聞いていたが、それ以上に詮索するには恐れとはばかりがあって、ずっと気になりながらそのままにしていた。
離れの部屋に横たわっていた荒畑先生の顔は、まるで眠っているかのようだった。これが現実だとはとても信じられない。いつから口髭を蓄えたのだろうか、その他はいつもながらの端正で穏やかな顔だった。涙がとめどなくあふれてくる。こんな日に出かけるのは気になったが、最後の別れをしたいとの願いと、奥様の「主人もきっと喜んでくれると思います」との一言に後押しされて駆けつけたが、本当に来てよかったと思った。奥様は「フランスから帰ってきたばかりで、やはり無理が死期を早めたのかも知れない」と目を真っ赤にしながら話された。
荒畑先生の略歴をネットで探すと、次のようになっている。
国立精神・神経センター神経研究所疾病研究第一部長。医学博士。昭和46年順天堂大学医学部卒業。米国メイヨークリニック、メイヨー医科大学神経内科研究員、順天堂大学医学部神経学教室講師、ハーバード大学医学部遺伝学教室 Staff Associate を経て、平成4年より現職。世界筋疾患連合(WMS)理事。英国王立医学会会員。米国神経学会会員。専門は神経内科学。特に筋肉病学。現在は筋ジストロフィーの遺伝子解析と病態解明に関心をもつ。
先生が亡くなられたころ、拙著(病む人に学ぶ:日総研2004年)に先生の思い出を書かせてもらったことがあった。
彗星のように去りぬ~畏友の死~
国分寺駅から西武線に乗り換え、鷹の台の駅前でタクシーを拾うという心積もりは見事に外れた。小さな駅で早朝だったこともあってか、タクシーの影形もなく、たまたま行き着いた津田塾大学の守衛さんの言葉を頼りに、玉川上水に沿ったまだ武蔵野の面影の残る雑木林の小道を、二丁目から四丁目へとひたすら歩き続けた。何層にも踏み固められた枯葉の上を歩くうちに、混乱した頭が少しずつ冷静になっていく。おそらく彼も何度もこの道を歩いたのだろうと思いながら、昔のいろいろな出来事が頭の中を駆け巡る。昨夕、QOL研究班出席のため、冷たい霧雨の中をやっとたどり着いた新宿のホテルのフロントで、荒畑喜一先生の突然の訃報を知らされた。呆然とするしかなかった。いまや日本の、いや世界の筋肉病研究者の第一人者であった。風の便りに体調を崩しているという話を聞いていたが、それ以上に詮索するには恐れとはばかりがあって、ずっと気になりながらそのままにしていた。
離れの部屋に横たわっていた荒畑先生の顔は、まるで眠っているかのようだった。これが現実だとはとても信じられない。いつから口髭を蓄えたのだろうか、その他はいつもながらの端正で穏やかな顔だった。涙がとめどなくあふれてくる。こんな日に出かけるのは気になったが、最後の別れをしたいとの願いと、奥様の「主人もきっと喜んでくれると思います」との一言に後押しされて駆けつけたが、本当に来てよかったと思った。奥様は「フランスから帰ってきたばかりで、やはり無理が死期を早めたのかも知れない」と目を真っ赤にしながら話された。
