看護小規模多機能型居宅介護施設(中)(2018/11/29)
12月1,2日(土、日)の内覧会を控えた28日午後、看多機にぶらっと寄ってみた。それぞれの部屋に機器や荷物が置かれると、また違った雰囲気になる。通所ではお二人のお年寄りが昼食を食べさせてもらっていた。途中から所長の田代さんに案内してもらったが、いろいろなアイデアが詰まっていることに気づかされた。道路に面した縁側のようなベランダには「おとなりさん」の看板も掲げられ、地域の人が気軽に立ち寄ってお話したり、遊んだりできるようになっている。方々にやさしく静かな絵が掛けられていた。取り壊した先のお住いの方(亡くなられたそうで、素子というサインがある)の息子さんから頂いたそうである。スムースな日常になるにはもう少し時間がかかりそうだが、スタッフの熱意と協力で、きっとうまくいくと確信している。
ここで遡って、10月1日の上棟式の模様と看多機について触れてみたい。
台風(24号)一過の秋晴となった10月1日、南風病院の看多機の上棟式が行われた。
私は院長室のあるアネックスから、竪馬場交差点近くの現在施行中の建物まで歩いて行った。道路に面した2階の部分に五色の旗が立てられている。駐車場になる予定の広場に、陶山さん(MBC開発社長)が既に来ておられる。「上棟式にも出席されるのですか」と尋ねると、「地鎮祭の時には出席することにしていますが上棟式は初めてです」と言われる。きっとかねて懇意にしてもらっているので配慮してくれたのだろうと感謝する。
私は自分の家を建てたことがないので、初めての経験である。ただ田舎では餅拾いにはよく行っていた。部落で棟上げ式があるとなると、村を挙げての一大イベントで、ほとんどの子どもたちが集まってくるのが常だった。これという娯楽もないし、また餅そのものが貴重品だったので、それこそ真剣に拾ったものである。家に帰ってから、火鉢で焼いて食べたものだった。60年以上も前のことになる。
60年以上の前のことと言えば、先日、健診で「県庁ドック」という問診票だったので、「どちらの部門ですか」と聞いてみた。「生活改良普及員です」と言うことだった。懐かしい響きに聞こえたので、隣の松ちゃんに「知っている?」と尋ねてみた。「知りません」と答える。昔はテレビなどで「生活改良普及員が農家の土間で、改良かまどの指導を行っています」というような場面がよく流れていたものだった。
ネットで調べてみると、「農業改良助長法(昭和23年法律165号)に基づき、農林漁業従事者の相談相手として、その生活関係の知識や技術の普及指導活動を行う専門技術者。全国485か所に設置されている地域農業改良普及センターに所属し、2000年(平成12)現在で一地域農業改良普及センターにおおむね3人、全国計で1296人が配置されている。身分は地方公務員である」とある。現在も数は少なくなったが、身分としても存在していることがわかった。
まず、担当者に従われて仮設の階段を昇って屋上に上る。更地の時にはさほど広いとは思わなかったが、屋上に上ると結構広く感じられる。指示に従って、私が塩を、所長の田代さんが米を、事務長の江藤さんがお神酒を屋上の四方にまいてお清めをする。そのあと東の方角を向いて、2礼2拍手1礼後お神酒で清めをした。
そのあと階段を下りて、2階のベランダから「餅まき」をすることになった。いくつかの段ボール箱が用意され、箱の中には何十種類もの駄菓子や餅、紙に包んだお金などが用意されている。階下の広場にはどこから集まったのだろうと思うくらいのたくさんの老若男女、今か今かと待ち受けている。担当者の合図で、私と田代さん、江藤さん、新山さんが力いっぱい階下に投げる。軽いお菓子類が多いので、なかなか遠くまでには飛ばない。前方に陣取った子供たちは抱えきれないほどのお菓子を袋に詰めて、うれしそうに帰って行った。
餅まきの後、2階の部屋で簡単な儀式が行われた。私が乾杯の音頭を取り、続いて貞方理事長が挨拶して終わるというもので、理事長は「これで終わりですか」と笑いながらMBC開発の担当者に訊ねていた。
ここで遡って、10月1日の上棟式の模様と看多機について触れてみたい。
台風(24号)一過の秋晴となった10月1日、南風病院の看多機の上棟式が行われた。
私は院長室のあるアネックスから、竪馬場交差点近くの現在施行中の建物まで歩いて行った。道路に面した2階の部分に五色の旗が立てられている。駐車場になる予定の広場に、陶山さん(MBC開発社長)が既に来ておられる。「上棟式にも出席されるのですか」と尋ねると、「地鎮祭の時には出席することにしていますが上棟式は初めてです」と言われる。きっとかねて懇意にしてもらっているので配慮してくれたのだろうと感謝する。
私は自分の家を建てたことがないので、初めての経験である。ただ田舎では餅拾いにはよく行っていた。部落で棟上げ式があるとなると、村を挙げての一大イベントで、ほとんどの子どもたちが集まってくるのが常だった。これという娯楽もないし、また餅そのものが貴重品だったので、それこそ真剣に拾ったものである。家に帰ってから、火鉢で焼いて食べたものだった。60年以上も前のことになる。
60年以上の前のことと言えば、先日、健診で「県庁ドック」という問診票だったので、「どちらの部門ですか」と聞いてみた。「生活改良普及員です」と言うことだった。懐かしい響きに聞こえたので、隣の松ちゃんに「知っている?」と尋ねてみた。「知りません」と答える。昔はテレビなどで「生活改良普及員が農家の土間で、改良かまどの指導を行っています」というような場面がよく流れていたものだった。
ネットで調べてみると、「農業改良助長法(昭和23年法律165号)に基づき、農林漁業従事者の相談相手として、その生活関係の知識や技術の普及指導活動を行う専門技術者。全国485か所に設置されている地域農業改良普及センターに所属し、2000年(平成12)現在で一地域農業改良普及センターにおおむね3人、全国計で1296人が配置されている。身分は地方公務員である」とある。現在も数は少なくなったが、身分としても存在していることがわかった。
まず、担当者に従われて仮設の階段を昇って屋上に上る。更地の時にはさほど広いとは思わなかったが、屋上に上ると結構広く感じられる。指示に従って、私が塩を、所長の田代さんが米を、事務長の江藤さんがお神酒を屋上の四方にまいてお清めをする。そのあと東の方角を向いて、2礼2拍手1礼後お神酒で清めをした。
そのあと階段を下りて、2階のベランダから「餅まき」をすることになった。いくつかの段ボール箱が用意され、箱の中には何十種類もの駄菓子や餅、紙に包んだお金などが用意されている。階下の広場にはどこから集まったのだろうと思うくらいのたくさんの老若男女、今か今かと待ち受けている。担当者の合図で、私と田代さん、江藤さん、新山さんが力いっぱい階下に投げる。軽いお菓子類が多いので、なかなか遠くまでには飛ばない。前方に陣取った子供たちは抱えきれないほどのお菓子を袋に詰めて、うれしそうに帰って行った。
餅まきの後、2階の部屋で簡単な儀式が行われた。私が乾杯の音頭を取り、続いて貞方理事長が挨拶して終わるというもので、理事長は「これで終わりですか」と笑いながらMBC開発の担当者に訊ねていた。
