Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

国立病院総合医学会(4)(2018/11/26) 

先生の生い立ちをネットで調べると、高梁高校の出身とある。この学校は天空の城として人気の備中松山城がある臥牛山麓の御根小屋跡(県の重要文化財)に建ち、小堀遠州作庭の心字池を中心に校舎が整然と配置された全国屈指の恵まれた環境にあるという。このような環境と現在の研究とは関係があるかも知れないと想像を膨らましたりした。
   講演の最後に司会の小西会長が「ノーベル賞をとられることを期待しております」と結ばれたが、近い将来そのようなことになるのではないかと思った。
   その後の招待講演は、池坊專好氏(華道家元池坊の次期家元)による「いのちをいかす いけばなの美と心」なるもので、「いのちをいかす」という池坊いけばなの精神に基づく活動を話された。
   午後から私の出番である。野間先生や池坊氏と同じ大きな会場で、生きがいやわがままといったような抽象的な話をするにはちょっと大きすぎる、といつになく凹んだ気持ちで舞台に上がった。
   あらかじめ要求されていた抄録には次のようなことを書いた。
   私の難病物語~いのちを支える、生きがいを創る~
   私の難病物語は、偶然(きっかけ)から必然への歩みだったように思える。
   大学を卒業した1972年に難病対策要綱が成立し、42年後の2014年に難病法が制定された。この難病法の理念は「患者の社会参加と共生社会の実現」というものだった。都立府中病院(当時)に入院していた筋無力症の女子高校生の、「美容師になりたい」という願いを実現させたかったのである。
   私はNHO南九州病院で30年余り、筋ジスやALSなどの難病医療に関わった後、現在はがん医療を主体とする急性期病院で働いている。時代は変わり社会も変遷し、人の考え方も変わっていくが、今風の言葉でいうセイフティネット医療とは「患者のいのちを支え、生きがいを創出することではないか」と思う。
   筋ジス病棟の在りし日を振り返る時、「ユートピア的世界ではなかったのか」とひそかに誇りに思っている。当時は患者の病状も軽く、スタッフも若く元気があり、「この病気と病気の人をどうにかしたい」という強い使命感に燃えたスタッフが集っていた。
   たまたま国立病院を退職するとき、村木厚子さん(当時、社会・援護局長)と対談する機会を持てた。「筋ジス、重心医療で働く人にエールを」と注文したら「ぜひプロとしての知識とか技術の部分と、感受性というか、共感できる力、両方を育ててもらいたいと思います」と答えられた。
   今日は、人の生き方、幸せの形、人材育成、看護についても私の考えを述べたいと思う。