Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

いきがい(2018/11/01) 

10月22日の日経朝刊「18歳プラス」欄に、脳科学者の茂木健一郎さんが「人生100年時代の備え」と題してインタビューに答えている。
 茂木さんと言えば、2009年に東京国税局の税務調査により、3年間で約4億円の所得の申告漏れを指摘され追徴課税されている。脱税といったような認識はなかったようで、その後も多方面で活躍されている。昨年だったかと思うが、宝山ホールでの講演会で、軽妙な語りを聞いたこともあった。
 このインタビューで、「長寿を支える生きがいとは何か」に対して、その答えは「IKIGAI(いきがい)」だと話している。「日本人にとって幸せは本来、社会的成功や名声だけでなく、自分の役割の中に充足を見出すことにあったはずだ」と答えているが、全く同感である。
 また最近、NHKテレビ「100分 de 名著」『赤毛のアン』 の指南役として登場して、面白く適切な発言を聞いて、「ちょっとお調子者のうっかり屋さんだが、有能で才気にあふれた人だ」という見方に変わってきた。
 「人はどうしたら幸福になれるか」といった普遍的な問題に関して、「さすが」と思えるような解説をしていた。
 それは「肯定的なあきらめ」だという。
 その点では筋ジス患者の生き方とも共通していると思った。川涯先生(元加治木養護学校の先生で、歌人)は故日高君(筋ジストロフィー患者で、長年人工呼吸器を着けながら素晴らしいグラフィック絵画と歌を遺してくれた)の歌集『花のちから』に、「筋ジストロフィーという過酷な運命にさえ感謝し、遠からず来るに決まっている死さえ受け入れてしずかな心で日々を過ごしています。みごとな達観です」と書かれている。
 肯定的なあきらめ=達観ということになろうか。
 私が思い出す『達観』という範疇に入りそうなデュシェヌ型筋ジストロフィーの患者さんは、日高君以外にも轟木君、宮田君、大原君、坂元君など、挙げていけばきりがないほどである。彼らは小さいころから病気と共存してきたためか、肯定的なあきらめに秀でていると思うことが多々あった。
 その中で、いつか紹介したことがあったが、現在も24時間人工呼吸器を付けながら障害者施設のまほろば福祉会で、経理の仕事をしている坂元君を紹介する。
 坂元君は宮崎県小林市に生まれた。兄も同じ病気で、兄の後を追うようにして小学5年の時に地域の学校から加治木養護学校に転校してきた。この時の気持ちを次のように話している。
 入院当初は不安も大きかったが、同じ病気で一生懸命生きている先輩や友達の姿を見て励まされ、自分も頑張らなければと思った。
 そして高校の頃には次のように語っている。
 ・・・自分はこの病気になって不安になったり、病気を恨んだこともあった。ただ目標を持って生きてきて、たくさんのことを成し遂げることができたし、病気を持っていたからこそ巡り会える多くの友人もいる。今では病気に感謝する気持にもなっている。そして障害と共に生き、人の援助を受けながら、どうしたら自立(自律)できるかを、自分の課題としたい。