Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

留学の思い出(中)(2018/12/26) 

ミネソタ州は古くは北欧からの移民の多い州で、湖の多い州として有名である。車のナンバープレートにも「Land of 10,000Lakes(10000の湖がある土地)」が示す通り、アメリカで一番湖が多い州と言われている。北はカナダと国境を接しており内陸性の気候で、冬の寒さと積雪は半端ではない。12月から2月頃までの冬季はマイナス20℃を超える日が続き、風が吹くと体感温度はマイナス40℃以下になることも珍しくなかった。逆に夏は暑く、トルネード警報が頻繁に鳴り響き、頑丈な避難できる石造りの建物が併設されている家もよく見かけた。ずいぶん前のことになるが、「大平原の小さな家」というドラマが放映されていたことがあったが、その舞台となった場所である。
 ロチェスターという街はミネソタ州の州都ミネアポリスから高速道路を一時間ちょっと南に走ると大草原の中に忽然と現れる。人口約10万人弱の小さな町で、気候はシカゴよりもさらに寒く、市内の大きな建物は屋外に出るのを避けるため、地下あるいは2階に相当する渡り廊下でつながっている。人口10万のうち、研修医を含む医師の数は5000名、このうち6万人余りがメイヨー財団関係で雇用されているという。私たちがフェローとして属していた医学部の歴史は浅く、メイヨー医学校は1972年に始まっている。ただこの医学校の競争率は高く、募集46名に対して約4500名が応募するという非常に狭き門である。
 私たちが留学した時に、メイヨー医科大学の精神科教授をされていた丸田俊彦先生にはお世話になったが、先生は2005年に日本に帰国され、埼玉県精神医療センターの病院長をされていたが10年ほどして亡くなられた。
 この頃、「メイヨー・クリニックでの32年間を振り返って」というタイトルの講演を聴く機会があり、当時のランに次のように書いている。
 丸田先生のお話では、32年前に渡米した頃はメイヨー・クリニックの医療は、まさに黄金時代であった。確かに今でも「重い病気になったらかかりたい病院」として全米でもダントツの一位であり、他の病院に比べれば経営も比較的安定している。しかしアメリカの西海岸や東海岸で始まった医療改革の負の影響を中西部の静かな町、ロチェスターにあるメイヨー・クリニックも多かれ少なかれ受けており、その波に巻き込まれつつあるということだった。
 その一つは、非常に高度で質の高い(家族経営の)「専門店」方式から、ある程度品質が保証された(大企業経営の)「スーパーマーケット」方式への移行が、「専門分野の細分化」という名のもとになされてきている。そのため昔は、患者さん全体を見通せる卓越した臨床家がたくさんおり、その先生の臨床ノート(カルテのようなものか)をみると、患者さんの病態をたちどころに把握できていた。ところが最近では、神経内科のカルテをみても、専門分化が進んだ結果、頭痛があるとすればそれに関係した所見だけしか書かれておらず、病人を全体として把握できなくなっているという。
 また以前は医師同士でも家族的な雰囲気があったが、最近ではそのようなことも少なくなり、マスコミなどへの露出度を増やして、外部から多額のファンドを獲得できる研究者が幅を利かせるようになっているそうだ。