Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

留学の思い出(後)(2018/12/27) 

それでも、さすがにメイヨー・クリニックだと思われる部分は残っている。丸田先生は自分の研究テーマの一つとして、精神的な気持ちの在り様が将来心筋梗塞などの発病に関係するのかどうかに興味をもち、そのような症例のピックアップと経時的な調査を行ったことがあった。カルテを管理している部署に頼むと5000例近くをピックアップしてくれて、その中から1000例を抽出し、そのうちの約90%の症例で、実に50年間にわたる経過をフォローできたという。50年前のカルテがきちんと保存できていることも驚異であるが、住居を含め目まぐるしく変わる時代にあって50年間も追跡調査ができたということは信じられない話である。
 さて私のアメリカでの生活は、生活面でも研究面でも納先生の引き継ぎと言うことで、すんなりと入って行けたように思う。メイヨー・クリニックには多くの日本人が留学していたので、小さな日本社会のようなものもあった。その中の神経研究所にも何人もフェローが在籍し、同じエンゲルラボには後半の2年半、故荒畑喜一先生と一緒だった。
 研究室のボスのエンゲル先生は当時50歳前半で、ちょうど油の乗り切った頃だったのではないだろうか。神経筋の分野では世界一の研究者と目されており、研究面では非常に厳しかったが、情緒的には日本人の心情をよく理解できる先生で、この面でも非常に助かった。日本人は英語の読み書きはできるが話すことが苦手なこと、自分の主張を人前で話すことにためらいがあることなど、代々留学してきたフェローたちの言動からよく察してくれていた。私の場合、経済的にも比較的恵まれていて、大学の助手の身分で留学できたし(この点では、故井形教授に感謝である)、米国ではNIHのファンドを些少ながらもらうことができた。 
 エンゲル研究室の研究者は10人ほどと少なかったが、その分野では常に世界の最先端と競争していた。新しい技術を積極的に取り入れていたし、また部下をむやみに競争させるようなことはなかったが、成果が公に発表されるまでは外部に情報が漏れることを厳しく制限していた。
 ただいつもエンゲル教授が言っていたのは、新しい課題を次々に見つけていくのが研究であり、そのために新しい技術や人をそろえているのだ。そして目指しているプロジェクトが済めば、人も器械も用無しになり、新しい体制で次のチャレンジに向かうことになる(ある意味では、私たち研究者も部品の一つだったのかな)。ところが日本の研究者の多くは成功体験を捨てがたく、果敢な挑戦を躊躇するために独創的な研究が少ないのだとよく言われてきた。
 早いもので、エンゲルラボを去って40年近くになる。毎年、クリスマスカードのやり取りをするだけの関係になったが、90歳になった今も研究室で最新の研究をされているようで、本当にすごい人である。私は帰国後国立病院に異動したこともあり、自然科学的な研究から社会医学的な研究にシフトしてしまったが、先生のよく言われていたproblem orientated という考え方だけは忘れずに踏襲してきたつもりである。