Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

ALSと写真撮影(4)(2018/12/20) 

Koさんにも触れておられるが、私も懐かしく思い出している。
 詳細は忘れてしまったが、私とほぼ同じ時代を共有した人で、溝辺の田舎から中学卒業後、名古屋の方に集団就職した。持って生まれた能力と努力で、最終的には造船技師となり、葬儀に参加した時には私の高校の同級生(東大から国土交通省、最終的に局長となり外郭団体に天下っていた)から花輪が贈られていたことに驚いたものである。「頑張って偉くなった」とは聞いていたが、局長から花が届けられるとは相当な地位になっていたことになる。
 50歳前後にALSとなり、有楽町の鹿児島有楽館で偶然、鹿児島文庫の「難病と生きる」を手にされて南九州病院の私の外来を受診されたものである。当初は気難しい性格で、要求度が高く、スタッフとよくトラブルを起こしていたが、次第に理解してくれるようになり、平穏な療養生活に変化していく。
 2009年の花筏に私は次のように書いている。
 病棟を巡視の折、4病棟の詰所のラウンジで、付添のKoさんがいつものように、花バサミで器用に花を活けている姿を見かけた。「ありがとう」と声をかけると近寄ってきて、「先生、見て」と小さな木の枝を目の前に持ってくる。「不思議な花でしょう。いかだのように見えるので、花いかだというのよ」と教えてくれる。確かに奇妙な花で、私は今までこのようなq花を見たことはない。何の変哲もない一つ一つの葉の中央に、いかだに乗ったように小さな可愛らしい花が、ポツンとついているのである。自然の神秘とでも形容で器用か、人工的にはとても作りえない造作である。「どこから持ってきたの」と聞くと、「山から取ってきたのよ。家の近くにもたくさんある」という。・・・・
 このKoさん、もう数年間も自宅で、どちらかというと気難しいALSのご主人の介護を続けている。生け花などで気分のバランスを取っているのかも知れないが、あまり怒ったり落ち込んだりした姿を見たことはない。「これでよくやせないね」とからかうと、「ストレス肥りよ」という答えが返ってくる。
 「ALSの延命中止についてはどう思う」と藪から棒にたずねると、直接に質問には答えないで、「在宅で療養を始めたころ、主人が急に私を呼んで座らせ『あと半年くらいしか生きられないからよろしく』と言われたことがあった。主人は何でも興味を持つ人だったから、呼吸器を着けても何かやってくれるだろうと期待していたんだけど。ところが、『呼吸器は外れていないか、管はちゃんときつく縛ってあるか』など、生きることへの執着ばかりで・・・・」と言う。
 Koさんの故郷を出て苦学しながら学び、造船技師として活躍されていた人だから、私も何か感動を与えてくれるようなことをしてくれるかも知れないという期待を持っていた。
 呼吸器を着けるような長期療養では、生きることだけに執念を燃やされると、周りの人が付かれることは確かである。でも命綱を呼吸器に依存している体では、これもやむを得ない事かも知れない。人間、その身になってみないと分らないことが多い。
 ところがこのKoさん、本当は大変なロマンチストに違いない。娘さんが東京で結婚式を挙げることになって、式に出席できない心境を「健康な日 一日欲しい 娘の手を取り 歩きたい バージンロード」と詠んでいる。(終)