ALSと写真撮影(2)(2018/12/18)
北吉さんの大まかな経過は次のようになる。
大阪にある中堅の建設会社の現場監督として活躍されていたが、1990年ごろ(40歳前に)故郷の横川町に帰ってきて、鹿児島県にある同社の支店で働いていたようである。
2000年頃にALSを発病してしまい、それからしばらくして私との縁ができた。健康な頃は元気いっぱいのやんちゃな現場監督だったようで、病気になってからしばらくの間は発信するメールなどでその本領を発揮し、関わってきた人たちを右往左往させてくれた。
2006年6月30日(12年も前の出来事)の、私のランには次のようなことが書かれている。
「虎吉情報V2を終り、これからは虎吉情報でお楽しみ下さい。V2はエンドです。オカボンのアホ…土竜を叩かんかい。巨人アホ、竜に勝たんかい!ほんま、ハラたつわ!情けないです。イボドンにやられた」と毎朝、愉快な虎エール・メールを送ってくれるALS療養中の北吉さんから、先日「夢まで奪った大雨」というメールが配信されてきた。
書き出しは次のような文言で始まっている。父親としての子どもに対する愛情が込められている。
「私は、霧島市在住のALS既往歴6年になる、北吉と申します。発症は下の娘が、高1になった時でした。上に後2人の学生がおり、目の前が真っ暗になりましたが、その娘も大学四年になり、就職試験を受けるまでに成長しました。これは、夢まで奪った大雨と立ち直ってくれとベッドから祈る父の胸中です。
7月20日、8/6災害を思い出すような、北薩地方を襲った大雨。被害にあわれた方の心中を察するに、いかばかりであろう。如何に頑張って再起されるのであろうか、心が痛みます。大雨が奪ったものは、家屋、道路だけではありません。大学四年の娘がいます。保健師の夢を叶える‘鹿児島市の試験’が、7月23日にありました。ところが、宮崎から《県立宮崎看護大》バスも、電車も見合わせで動かないというのです。元気な私なら、じっとしているまい、アクセル踏んでいるはず。今できる事は、従兄弟であるが、兄と慕ってくれているTさんに、メールで頼るだけ」。
Tさんは快く了解してくれたが、高速道路は閉鎖されたままで動けず、翌朝の日豊本線も不通。結局娘さんは、鹿児島市での採用試験は受験できなかった。「みすず!残念やね、一応鹿児島市に電話をかけておきなさい。雨が凄いから、延期かもよ。まあ、だめもとでもいいから電話をかけておきなさい。父」「やっと落ちついたよ。今日は一日中号泣だった。まだ諦めないで保健師試験がんばるわ!」「成せば成る、何事も。まだ若い、チャンスはあるさ!やっぱり迎へに行くべしだったね、それが悔いだね。でも、新たにスタートせねばね。gogogoみすず!父」「人吉市に保健師募集はいりました。うけていいかな?」「おはよう。受けなぁあさい、わらぃいなさい、明日の夢をつかんで。父」
見事に立ち直った娘にひと安心し、取り越し苦労の自分が恥ずかしい。被災地の方々の苛酷なまでの辛さと、復興への粘りと頑張りにエールを贈りたい、と北吉さんは結んでいる。
送られてきたメールのやり取りに論評するのははばかれるが、自分の体を自分の意思で動かすことのできない辛さと苛立ちが痛いほどよくわかり、また父親として娘への際限ない愛情がよく表されている。でも病気になって6年、娘さんは親の心配をよそにたくましく成長し、自律への道を歩み始めている。これも北吉さんの真摯な闘病の姿を、身近に見ることができたからこそと思う。北吉さん、そして奥さん、苦労の甲斐があったというもんだ。今、人工呼吸器装着の選択に迷われているが、子どもさん方は困った時や大事な時に、まだまだ北吉さんの父親としての「存在」を必要としているのかも知れない。
私の好きな諺に「人間万事、塞翁が馬」そして「災い転じて福と為す」という言葉がある。みすずさんの保健師としての活躍を、北吉さんともども待ち望んでいる。(終)
大阪にある中堅の建設会社の現場監督として活躍されていたが、1990年ごろ(40歳前に)故郷の横川町に帰ってきて、鹿児島県にある同社の支店で働いていたようである。
2000年頃にALSを発病してしまい、それからしばらくして私との縁ができた。健康な頃は元気いっぱいのやんちゃな現場監督だったようで、病気になってからしばらくの間は発信するメールなどでその本領を発揮し、関わってきた人たちを右往左往させてくれた。
2006年6月30日(12年も前の出来事)の、私のランには次のようなことが書かれている。
「虎吉情報V2を終り、これからは虎吉情報でお楽しみ下さい。V2はエンドです。オカボンのアホ…土竜を叩かんかい。巨人アホ、竜に勝たんかい!ほんま、ハラたつわ!情けないです。イボドンにやられた」と毎朝、愉快な虎エール・メールを送ってくれるALS療養中の北吉さんから、先日「夢まで奪った大雨」というメールが配信されてきた。
書き出しは次のような文言で始まっている。父親としての子どもに対する愛情が込められている。
「私は、霧島市在住のALS既往歴6年になる、北吉と申します。発症は下の娘が、高1になった時でした。上に後2人の学生がおり、目の前が真っ暗になりましたが、その娘も大学四年になり、就職試験を受けるまでに成長しました。これは、夢まで奪った大雨と立ち直ってくれとベッドから祈る父の胸中です。
7月20日、8/6災害を思い出すような、北薩地方を襲った大雨。被害にあわれた方の心中を察するに、いかばかりであろう。如何に頑張って再起されるのであろうか、心が痛みます。大雨が奪ったものは、家屋、道路だけではありません。大学四年の娘がいます。保健師の夢を叶える‘鹿児島市の試験’が、7月23日にありました。ところが、宮崎から《県立宮崎看護大》バスも、電車も見合わせで動かないというのです。元気な私なら、じっとしているまい、アクセル踏んでいるはず。今できる事は、従兄弟であるが、兄と慕ってくれているTさんに、メールで頼るだけ」。
Tさんは快く了解してくれたが、高速道路は閉鎖されたままで動けず、翌朝の日豊本線も不通。結局娘さんは、鹿児島市での採用試験は受験できなかった。「みすず!残念やね、一応鹿児島市に電話をかけておきなさい。雨が凄いから、延期かもよ。まあ、だめもとでもいいから電話をかけておきなさい。父」「やっと落ちついたよ。今日は一日中号泣だった。まだ諦めないで保健師試験がんばるわ!」「成せば成る、何事も。まだ若い、チャンスはあるさ!やっぱり迎へに行くべしだったね、それが悔いだね。でも、新たにスタートせねばね。gogogoみすず!父」「人吉市に保健師募集はいりました。うけていいかな?」「おはよう。受けなぁあさい、わらぃいなさい、明日の夢をつかんで。父」
見事に立ち直った娘にひと安心し、取り越し苦労の自分が恥ずかしい。被災地の方々の苛酷なまでの辛さと、復興への粘りと頑張りにエールを贈りたい、と北吉さんは結んでいる。
送られてきたメールのやり取りに論評するのははばかれるが、自分の体を自分の意思で動かすことのできない辛さと苛立ちが痛いほどよくわかり、また父親として娘への際限ない愛情がよく表されている。でも病気になって6年、娘さんは親の心配をよそにたくましく成長し、自律への道を歩み始めている。これも北吉さんの真摯な闘病の姿を、身近に見ることができたからこそと思う。北吉さん、そして奥さん、苦労の甲斐があったというもんだ。今、人工呼吸器装着の選択に迷われているが、子どもさん方は困った時や大事な時に、まだまだ北吉さんの父親としての「存在」を必要としているのかも知れない。
私の好きな諺に「人間万事、塞翁が馬」そして「災い転じて福と為す」という言葉がある。みすずさんの保健師としての活躍を、北吉さんともども待ち望んでいる。(終)
