ドクターズマガジンの思い出(後)(2018/12/13)
ところが夜の8時に、友人を伴ってひょっこり帰ってきた。何事もなかったかのように、「友人がスッポンの血を飲むと元気が出るというので釣りに行った」と言う。そのスッポンであるが、当初2匹釣り上げたのだが、よくよく聞いてみると2匹ともに逃げられてしまったそうだ。「外出許可をとってくださればよかったのに」と師長が言うと、「白血球数が減っているので、外出は許してもらえないでしょう。抜けるにはこの時間帯が一番いいと思っていた」「あと10年は生きたいという気持ちと、早く決着をつけたい気持ちとが
揺れ動くんだよな」と、今度はしみじみと自分に言い聞かせるように話す。「今夜はゆっくり休みましょうね」と師長が話しかけると、初めて笑みがこぼれた。
さて「スッポン釣りに出かける」という、ちょっと滑稽で悲しい行動は私にもよくわかる。「太陽と死は見つめられない」という言葉もあるように、突然がんと診断され、余命いくばくと告知されたら誰だって気が動転するだろう。
死の不安を克服してきた先人を見るとき、一生懸命にその日その日を生きることが、死の不安から逃れる近道のように思えてくる。
10年ほど前に、あたかも旅行にでも出かけるように超然と旅立った35歳の筋ジストロフィーの青年は「死について」次のように書き遺している。
入院したときに8人の同級生がいたが、20歳を境に次々この世を去った。彼らが志半ばで逝くたびに死への恐怖が襲った。気管切開を受ける前は、冬が来るたびに風邪に神経をとがらせていた。友達が亡くなると、次は自分の番ではないかと常に死を意識しながら春を待っていた。
ただ同病の兄の死に顔を見たときには、なぜか冷静に受けとめられた。生前に何事にも一生懸命に取り組む姿を見ていたからだろう。
近い将来、私も死を迎える。死を前にしていかに生きるか、その答えは過去にこだわらず、常に前向きに生きていくことではないだろうか。今日が終わらなければ明日は来ない。今日を楽しむことが全てである
またプロレスラーの小橋健太は腎臓がんの術後で、いつも再発の不安を抱えている。それでも「やいたいことをやって、1,2年しか生きられなくてもいい。リングで必死に生きることで、不安を乗り越えている」と正直な思いを吐露する。
死の不安に対して仏教は「今生きている、生かされていることを精一杯生き切っていけばいいのだ」と教えている。今までの医学では、生かすこと、治すことだけに力を入れて、老病死となると、宗教の世界のこととして関心を払わないきらいがあった。ところが高齢社会になり、またがんや難病のように現代医学をもってしてもいかんともし難い病気も増えている。このような状況下で医師は病気にどのようなスタンスで臨めばいいのか、医学の教科書には書かれていない。
一人ひとりの人生は、いくつかの小さな物語からなる大きな物語である。患者さんと人生を語り合い、時間を共有することで不安を和らげ、彼らの人生の終末を豊かなものにできないものだろうかと、時間に追われるような日々の中で常々考えている。
揺れ動くんだよな」と、今度はしみじみと自分に言い聞かせるように話す。「今夜はゆっくり休みましょうね」と師長が話しかけると、初めて笑みがこぼれた。
さて「スッポン釣りに出かける」という、ちょっと滑稽で悲しい行動は私にもよくわかる。「太陽と死は見つめられない」という言葉もあるように、突然がんと診断され、余命いくばくと告知されたら誰だって気が動転するだろう。
死の不安を克服してきた先人を見るとき、一生懸命にその日その日を生きることが、死の不安から逃れる近道のように思えてくる。
10年ほど前に、あたかも旅行にでも出かけるように超然と旅立った35歳の筋ジストロフィーの青年は「死について」次のように書き遺している。
入院したときに8人の同級生がいたが、20歳を境に次々この世を去った。彼らが志半ばで逝くたびに死への恐怖が襲った。気管切開を受ける前は、冬が来るたびに風邪に神経をとがらせていた。友達が亡くなると、次は自分の番ではないかと常に死を意識しながら春を待っていた。
ただ同病の兄の死に顔を見たときには、なぜか冷静に受けとめられた。生前に何事にも一生懸命に取り組む姿を見ていたからだろう。
近い将来、私も死を迎える。死を前にしていかに生きるか、その答えは過去にこだわらず、常に前向きに生きていくことではないだろうか。今日が終わらなければ明日は来ない。今日を楽しむことが全てである
またプロレスラーの小橋健太は腎臓がんの術後で、いつも再発の不安を抱えている。それでも「やいたいことをやって、1,2年しか生きられなくてもいい。リングで必死に生きることで、不安を乗り越えている」と正直な思いを吐露する。
死の不安に対して仏教は「今生きている、生かされていることを精一杯生き切っていけばいいのだ」と教えている。今までの医学では、生かすこと、治すことだけに力を入れて、老病死となると、宗教の世界のこととして関心を払わないきらいがあった。ところが高齢社会になり、またがんや難病のように現代医学をもってしてもいかんともし難い病気も増えている。このような状況下で医師は病気にどのようなスタンスで臨めばいいのか、医学の教科書には書かれていない。
一人ひとりの人生は、いくつかの小さな物語からなる大きな物語である。患者さんと人生を語り合い、時間を共有することで不安を和らげ、彼らの人生の終末を豊かなものにできないものだろうかと、時間に追われるような日々の中で常々考えている。
