Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

ドクターズマガジンの思い出(中)(2018/12/12) 

ところでこのドクターズマガジンという雑誌(メディカルプリンシプル社の広報誌である)と、この本を創刊した中村さん、ライターの及川さんとはたくさんの思い出がある。
 この本は1999年11月に中村さんの発案で創刊され、毎月一回発刊されていた。「ドクターの肖像」という企画がメインで、毎月著名な医師が表紙を飾っていた。
 私も2001年10月号で紹介されたが、日野原先生や黒川先生、若月先生、武先生、鎌田先生など、世に名前の通った大御所たちの後だったので当初は気が引けて何度も断っていた。中村さんからは「この本の趣旨は、いわゆるアカデミズムの有名人ばかり取り上げるのではなく、難病の世界や離島で働く医師などのヒューマンドキュメント誌だから、先生は最適任」と言われてしぶしぶ引き受けさせてもらった。今振り返ると、私が「世に出る」大きなきっかけを作ってもらったようで、中村さんと及川さんには感謝している。あとで聞いたところでは、(故)武先生や近藤先生(現相澤病院)の推薦もあったようである。中村さんも及川さんもある事情でこの会社を去ってしまったが、その後も東京や鹿児島に来られた時など、会食を楽しんでいる。
 この号のオピニオンの「一生懸命にその日を生きる」は次のような内容である。
 思いもせず「がん」や「難病」などの病名告知を受けたり、あるいは治療中に思わしくない結果の説明をされたとき、人間のとりうる行動はさまざまである。
 「患者さんがいなくなりました」という情報が、当該病棟師長から医療安全管理者にもたらされたのは、ある日の夕方の5時過ぎだった。捜索を始めたが、かねてより病院にとめてあったという車(セルシオ)が見つからない。そこで無断離院の可能性が高くなった。
 この67歳の患者さん、地元で不動産業を手広くやっていたが、肺がんがみつかった(転移もある)。入院した時には手術は無理との診断で、化学療法と放射線療法中だったが、治療法をなかなか素直に受け入れられない様子で、ガンマナイフや民間療法についても相談していた。この日も主治医と今後の治療計画について話した後、ちょっと様子がおかしいと感じた師長が彼に声をかけ、廊下の長いすで20分ほど話をした。後に「売店に行ってきます」と言ってその場を離れたが、「自殺を考えたりする」というような言動も聞かれたので師長は気になっていたという。家族とも相談して、警察に捜索願を出し、出かけそうな場所を探したが、有益な情報はないまま時間は過ぎていった。