Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

日本難病医療ネットワーク学会(2)(2018/12/05) 

彼は「労し、重荷を負う人々のための慰めに関する十四章」という本を書いている。
 病気になった人はもちろん苦しいが、一人で苦しんでいるのではなく、周りの人もそして神も苦しんでいるのである。そしてこの本の中で「人は病気にして同時に健康」という謎めいた言葉を残している。人は病気か、そうでないのかの二元論ではなくて、人間というのは病気にして、そして健康な存在であると考えた方がいい。たとえ病気であっても、神様に見守られて生きているのである。この言葉を聞きながら、私は昔、筋ジス病棟を回診しながら、筋ジスの子どもたちに「今日はどうね」と声をかけると、元気な声で「元気です。筋ジス以外は」と言っていた言葉を思い出していた。
 また死について、今日のデス・エディケーションにあたる「死への準備についての説教」という本も著している。このなかで、死という問題は元気なときにこそ深くかんがえることが大切であると記している。そして元気なときに、喧嘩をしていた友だちとは仲直りをして、お金の貸し借りもきちんと解決しておく必要があるなど、現実的なことにも触れており、現代にも通じる教えである。死は永遠の別れであるので、迷惑をかけないように準備しておくこと、死の道は神に通じると書いている。
 老いたルターは「私は疲れた」と書いた後、あの有名な「リンゴの木・・・」の言葉を書いたそうである。明日は全てが終わるという絶望の言葉である。植えたリンゴの木に花が咲いて実をつけるには、何年かかるかわからない。それでも木を植えようと言う前向きな言葉、なぜこのような前向きな言葉を語れたのか真意のほどはわからないが、生きることも死ぬことも、神様からあたえられた、神の庇護の元での人間という牧師としての信念だったのだろう。
 私がこの会場に到着したのは昼過ぎだったので、朝の発表は聞けなかった。聴きたかったのは里中さん(ALS協会鹿児島県事務局長)と若林さん(元ALS協会新潟県事務局長)の発表である。学会終了後、若林さんからメールが届いていた。
 以前から唱えている「第三の選択」(自発呼吸が無くなったら止まるモードの選択)についてようやく発表が出来て「死んでも死にきれない思い」から自由になりました。お時間のある時にお目通し願えれば幸いです。
 里中さんの発表サイコーですね。あんな風な物いつか作れたらなぁ。
 まず若林さんの発表だが、抄録を読むとALS患者の人工呼吸器装着後の離脱の問題を扱ったもので、「『生きたいけれども生きるのがこわい』とも表現されるこの困難な課題に対して、呼吸器の設定を自発呼吸が続く間のみ作動するモードを導入するという『第三の選択』を提示し、呼吸器装着を受けながらも苦悩を少なく生の終焉を迎えた2例を紹介している」。
 一方里中さんの発表は「介護保険の成り立たない地域で、患者家族が生きていくための奮闘記~鹿児島県の現状と課題~」というタイトルで、「重度訪問介護従事者研修」と「特に離島のALS患者の重度訪問介護による支援システムを構築していこうという奮闘記」である。私の顔写真も出してくれたとか。